当時、早稲田大学理工学部の3年生だった僕は(もっとも、ほぼ休学状態だったが……)、しょっちゅう大学図書館を訪れていた。何しろ大学図書館だ。さまざまな雑誌が読み放題。これを利用しない手はない。雑誌の開架コーナーに入り浸って、興味の赴くまま手当たり次第にさまざまな雑誌を読み耽った。

 もちろん、僕はコンピュータに最大の関心を持っていたから、そのジャンルの雑誌が中心だ。なかでもお気に入りが『エレクトロニクス』というアメリカの専門誌だった。この雑誌は、アメリカの最先端の情報が掲載されていて、とにかく面白かった。その日も、人気のない開架コーナーに腰をかけて、同誌のバックナンバーを1ページずつ読み込んでいた。

 そして、ある小さな囲み記事に目が止まった。

 マイクロソフトという会社が、インテルのマイクロ・プロセッサー「8080」用のBASICインタープリターを作って売っているという、それだけの記事だった。マイクロソフトという会社は、“聞いたことがある”という程度の存在だった。

 しかし、僕は「これは面白い!」と思った。その記事だけが、パーッと光を放っているように見えたほどだ。

1970年代に始まった「革命」

 何が面白かったのか?

 それには、少々説明が必要だろう。

 すべては、1971年暮れに、革命的な製品が世に出たことに始まる。インテル社が世界で初めて製品化したマイクロ・プロセッサー「4004」である。

 電卓用に開発された4ビット処理のものではあったが、コンピュータの「頭脳」に当たる機能を、わずか数ミリ角のシリコン・チップにパッケージしてしまったのだ。もちろん、従来の大型コンピュータに使われていたプロセッサーに比べれば、値段も劇的に安くなった。

 これに敏感に反応したのが、コンピュータ・マニアたちだ。

 インテル「4004」を購入して、周辺機器を自ら組み立てて、自分だけの「マイクロ・コンピュータ」(マイコン)をつくることに熱中する、いわゆる「マイコン・マニア」が生まれたのだ。

 それまでの世界には、とても個人では所有することができない高額な大型コンピュータしかなかったが、インテル「4004」の出現によって、「自分だけのコンピュータ」をつくる可能性が拓けたわけだ。いわば「神」と崇められていたコンピュータを、個人がつくり出せるようになったのだから、まさに「革命」と呼ぶべき画期的な出来事だった。

 この状況に拍車をかけたのが、1974年4月にインテルが製品化した、8ビットのマイクロ・プロセッサー「8080」である。これがマイコンの可能性を劇的に拡大させたことによって、マイコン・マニアも激増。そのニーズに応えるために、マイコンを組み立てるための周辺機器や部品などを取り扱う新しいビジネスも続々と立ち上がった。

 さらに、自分でマイコンを組み立てるほどのマニアではないが、完成品のマイコンを使ってみたいという人々も大量に現れることになる。この新たなマーケットに向けて真っ先に製品を投入したのが、ニューメキシコ州アルバカーキーにあったMITS社という倒産寸前の電卓メーカーだった。

 MITS社は、インテル「8080」を使った伝説的なマイコン・キット「アルテア8800」を、1974年12月に発売。ディスプレーもキーボードもプリンターもないコンピュータ本体だけの製品にもかかわらず、それなりに値が張ったが、これが飛ぶように売れた。

 この大ヒットに続くべく、マイコン・ビジネスに参入する企業が続々と出現する。もちろん既存の大企業ではない。自宅のガレージ(車庫)でマイコンを作る、いわゆる「ガレージ企業」である。スティーブ・ジョブスのアップルも、そのひとつだった。

 だけど、大きな問題があった。

 コンピュータ言語の問題だ。インテル「8080」を動かすには、「1」と「0」の二進値で書かれた「機械語」でプログラミングをする必要があったが、これがきわめて難解で、初心者にはとても手に負えない代物だったのだ。

 つまり、「機械語」でプログラミングされている限り、マイコンが一般に広く普及することはないということ。そこで求められたのが、人間にも理解しやすい数式のような形式でプログラムを書くことができる、マイコン用の「高級言語」を開発することだった。

ビル・ゲイツが受けた「衝撃」

 そして、この問題を最初に解いたのが、当時、ハーバード大学の学生だったビル・ゲイツと2歳年上の盟友ポール・アレンである。

 これは、のちに本人から聞いた話だが、彼は、インテル「8080」が発売になったときに、「みんながこのチップのための本物のソフトウェアを本気で書き始める」と確信したそうだ。ポール・アレンとともに、この「革命」にどう加わるべきか議論を重ねていた。

 しかし、1974年12月にポールに手渡された雑誌『ポピュラー・エレクトロニクス』にビルは衝撃を受けたという。その号の表紙を飾ったのは、同月に発売された「アルテア8800」。記事には、そのマイコンにはインテル「8080」が組み込まれていると書いてあった。「ああ! おれたち抜きで始まってる!」「革命に乗り遅れた!」。そう衝撃を受けたのだ。