ハンドルを握ると人格が粗暴になる理由

 筆者はかつて全国紙地方支局時代、交通機動隊や交通指導課で事故の捜査を長く経験したベテラン警察官(当時は副署長)に話を聞いたことがある。

「あおり運転」という言葉は当時なかったが、聞いたのは「なぜ、ハンドルを握ると人格が粗暴になる人がいるのか」ということだった。

 その警察官は「自分の体より何倍も大きい車を動かし、人間の身体能力をはるかに超える速度で走行できることに興奮して、いわゆるアドレナリンが出た状態になる。だから普段から粗暴な人物はより粗暴になり、普段は物静かな人物でも粗暴な性格になる」と話していた。

 言うまでもなく、車は暴走すれば拳銃やナイフと同様、高い殺傷能力がある。自分の感情をコントロールできない人物が運転する車は文明の利器などではなく、もはや危険極まりない「走る凶器」でしかないということだ。

 宮崎被告は公判で、取り消された運転免許の再取得について問われ「車が好きなので取りたいとは思っています」と述べていた。

ハンドルを握れば繰り返すのではないか

 こうした方々も、運転席から降りたら少しは落ち着きを取り戻すかも知れない。しかし、筆者の個人的な見解ではあるが、ハンドルを握ればまた同じことの繰り返しというのが正直な感想だ。

 改正道交法を審議している間、あり得ないとは思いながら、筆者は「未来永劫の運転免許取得資格剥奪(はくだつ)」が明記されることを願っていた。

 あおり運転で摘発されるような方々に安全運転を期待するのはほぼ無理と思うので、可能ならば自主的に運転をやめるよう祈ってやまない。