非は誰にあったか
犯人捜しではなく自省を

 恋愛リアリティーショーを見ていて常々心配だったのは、制作サイドは出演者をどれくらいケアしているのかという点だった。出演がブレイクのきっかけになった人は万々歳として、出演がきっかけで「自分」というブランドに再起不能なくらいのダメージを負った人もいたはずである。悪いイメージがついてしまった人は下手をするとプライべートでも一生後ろ指をさされる可能性すらある。

 恋愛リアリティーショーに出演することは出演者にとって伸るか反るかのギャンブルであり、当人たちもある程度その覚悟はしているのであろうが、制作サイドはそのジャンルのコンテンツを扱ってきたプロとして、出演者の覚悟や“自己責任”という言葉に甘えてはならない。番組を盛り上げるためとはいえ、一人の人間をヒールに仕立て上げて使い捨てにするような傲慢は許されていい道理はないはずである。

 出演者の自死は、残念ながら制作サイドに然るべき体制が整っていなかったことを意味する。出演者に定期的に専門のカウンセリングを受けさせるといった方策はいくらでも講じられたはずである。テラスハウス出演の女性が自死した5月は緊急事態宣言真っただ中で、ネットでの炎上やたたきが通常より激化していた折であった。出演者に相当な悪意が寄せられるであろうことは十分に予想できたはずだ。

 なお『テラスハウス』制作のフジテレビは、出演女性の自死に関して「専門家の受診を提案、および調整したが実現せずじまいであった」「ケアのあり方について至らぬ点があった」とし、「今後は然るべき体制で出演者をケアしていく」と述べている。

 その制作者をひたすら「面白い!」ともてはやした視聴者にも、認めたくないが非はあるかもしれない。“かもしれない”と表現したのは、この問題には「いじめの傍観者にも加害者としての責任があるか否か」に通じる構図があり、議論の余地があるトピックだが、仮にこれを「責任あり」と判断する場合は、視聴者にも番組礼賛の非が認められることになる。

 視聴者という個人の集合体だから責任の所在は見えにくいが、もっと早くから制作の体制の問題点について指摘を行っていれば、最悪の悲劇は回避できたかもしれない。メディアの末席に身を置いて発信する場を持つ筆者などなおさら、何もしてこなかったことへの非は大きい。その思いがあるから『テラスハウス』出演者の自死は一視聴者としての、また一発信者としての筆者の心に暗い影を落としている。

問題だらけの恋愛リアリティーショー
今後どうあるべきか

 わざわざ言及するまでもないかもしれないが、ネットで非人道的な個人たたきを展開した人の罪は相当重い。ネットモラルに属する話だが、悪意ある言葉を放つ先にいる相手が血の通った人間であるという、当たり前で最低限なすべき想像を持ちえない人や、匿名性の隠れみのをまとって増長する人などの存在が、ネットモラル全体の水準を著しく下げている。

 誰でも気軽に自由に発言できるのがネットのいいところだが、自由とは責任や思いやりを伴って初めて成立するもので、そこをはき違えている人が悪目立ちしている。

 以上、諸々のことを踏まえた上で、恋愛リアリティーショーの今後について、私の考えはこうだ。

 まず、制作者、視聴者が以前と変わらず危険性や言葉の暴力性に無自覚なままコンテンツを浪費しようとするのであれば、もはや存在しない方がよい。出演者に一筋のチャンスを投げかける性質があったとしても、誰かが亡くなるリスクを放置したようなコンテンツは到底エンターテインメントではなく、心ない制作者と視聴者による猟奇的で無分別なただの害悪である。人間が関わっている以上、悲劇の可能性を完全に拭い去ることはできないが、悲劇を未然に防ぐための努力は義務としてされてしかるべきである。

 今後視聴者が安心して楽しめる、良質なエンターテインメントとして発展していくには、制作サイドの出演者へのケアの体制が求められる。カウンセラーを用意する以外にもやり方はいくつかあるはずだ。たとえば『バチェラー・ジャパン』ならヒール役の人が脱落して番組から去っていく際、その人物にもドラマを持たせて最後の最後に視聴者に好感を持たせようとする工夫が見られる(『テラスハウス』にはこれがなく、ヒールの人が去るならただ去るだけである)。これも出演者の今後の人生に配慮したひとつのケアであるといえる。

 出演する人の心構えに関しては、より一層の覚悟や注意を求めず、そのままでもいいのではないかと考える。「名前を売るぞ!」という野心があっての出演だが、出演することのリスクもそれ相応に大きく、これ以上を彼らに求めるのは酷というものである。また、出演者が出演リスクを承知して覚悟を負っていたとしても、実際たたかれた時のダメージはおそらく出演前の覚悟をはるかに上回るものとなることが予想されるから、周りが出演者に対して「覚悟うんぬん」に固執するのは効果的ではない。

 どちらかというとそこではなく、ケア(制作サイドの体制づくりや、個人たたきを打ち消すための視聴者による応援・声掛けなど)の方に注力した方が、悲劇の防止に対してより直接的な働きかけとなる。

 視聴者サイドは番組があくまで「リアルっぽい」「等身大ふう」であることを胸の片隅に留めておくのがよいであろう。番組を楽しみつつどこかに冷静な判断力を残しておくことで、それが過剰な個人たたきをしたくなった際にブレーキとなる。

 あとは、社会のネットモラルの向上が待たれる。SNSの普及が急速過ぎて、そこに付随して育まれるべきだったモラルが追いついていない感はある。言葉は扱い方によって実際の凶器よりよほど凶器になりえる。加えて、悪意ある言葉は文字化されると酷薄さが段違いに増す。その点に無自覚、あるいは無関心でいいと開き直っている人がいなくなる日が来ることを願いたい。

 以上のことがクリアされれば、恋愛リアリティーショーは次なる次元へと歩を進めた極上のエンターテインメントとして仕上がるはずである。

 この場をお借りして最後に、木村花さんと濱崎麻莉亜さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。