“リアル”と“リアルっぽいもの”の違い
事実の一部分を切り取って見せる“演出”の存在

『テラスハウス』出演の女性が自死した際、複数の有識者がさまざまな角度から問題点を取り上げた。その中で異口同音に聞かれた意見として、「番組制作サイドのやらせはなかったとしても、演出は確実にあった」というものがあった。

 筋書きや台本はなく、出演者が自由に行動した結果がドラマとなっている…というのが恋愛リアリティーショーの原則的建前だが、制作サイドはそのドラマの筋書きをある程度コントロールすることができる。

 例えば、ある女性が何かしゃべっているシーンの直後にその女性を見ている男性のシーンが挟まれれば、「この男性は、あの女性が好きなんだな」という思考に誘導される。あるいは、ある出演者の一部分にすぎない性格上のあるポイントを繰り返しクローズアップすることで、「この出演者はこういう性格なのだ」と視聴者に思い込ませることができる。出演者が人気者になるかヒールになるか、そこに関しては制作サイドがかなり大きな実権を握っているということである。

 番組内の制限された時間で全てを伝えることはできないので、制作サイドはストーリーを簡略化するため便宜的に、そして番組をより盛り上げるために事実関係をデフォルメして意図的に演出を加える。演出に対する懸念は、出演者からインタビューやSNSを通じて発せられることもあった。また、『The Bachelor』(海外版バチェラー)に「やらせがあった」と制作の裏側を暴露する内容となっている海外ドラマ『UnREAL』なるものも存在する。

 つまり恋愛リアリティーショーはあくまで「リアルっぽい」だけであって、真実のリアルそのものではない。しかし筆者をはじめ、「これは作り物だ」とかなり警戒して見ているつもりでも視聴者はこの「リアルっぽいもの」にすっかり入り込んでしまう。真実の一部を見ただけで、全体がわかったような気になってしまいやすいのである。

知名度を上げたい出演者たち
たたかれるリスクと、たたかれた後のリスク

 スタジオトークに指摘される問題として「個人たたきを扇動している」という点がある。あるコメンテーターが出演者Aをこき下ろしているとする。共感する視聴者はそのこき下ろしを聞いて胸をすっきりさせるが、中には「このコメンテーターがこう言っているのだからやっぱりそうだ。自分は間違っていなかった。よし自分も存分にたたこう」と思う人が現れる。結果、個人たたきが加速するという図式だ。

 これにはたしかに一理あって、そうしたケースは当然出てくることが想定される。しかし個人的な見立てとしては、微妙なラインであり必ずしも悪い面ばかりではないという気もする。スタジオでのこき下ろしを聞いて存分に満足し、たたく意欲を失う視聴者もまた必ずいるはずであり、その際はこき下ろしがたたかれる出演者にとっての防波堤として機能するのである。こき下ろしのレベルが「何もそこまで言わなくても」と思わされる程度に達すれば、視聴者は一転して出演者の擁護に回ることもあるであろう。この心の動きは筆者が一視聴者として身をもって何度か経験している。

 よって、スタジオトークには良い面と悪い面があって、白か黒のどちらか一色に断じることができる種類のものではない。とりあえず悪い面に関しては、視聴者が注意深く向き合うことで問題とならない程度まで薄めることは可能である。

 SNSでの感想や意見の交換もスタジオのトークと同様の効果があって、視聴者の胸のモヤモヤを解消してくれる。しかし前述の通り熱量が大きく育っているため、心ない人が「死んでほしい」「消えろ」といったひどい言葉を発信することがあり、これが出演者の目に留まる確率が非常に高い。出演者たちは、エゴサ(エゴサーチの略。 ネットで自分の名前を検索して世の評判を探ること)をしてしまうのだ。エゴサは地位を確立した有名タレントでも行うことは珍しくない。

 恋愛リアリティーショーの出演者は、一応くくりは“一般人”ということになるのであろうが、その誰もが自分自身や自分が所属する団体の知名度を上げようという狙いを持つタレントの卵のような立ち位置にある。エゴサによって自分を客観視する機会を設けるのはマーケティングとして必要な行為ともいえる。

 また、これから有名になろうという人種にとってSNSを活用しない(SNSにアカウントを作らない)という選択肢はほぼなく、エゴサをしなくても自分のアカウントに多種多様な感想が寄せられてくるのを止めることはできない。その感想には好意的なものもあれば批判的なものもある。そして10の称賛より1つの批判がより胸に響いてしまうのである。

 上記のことを総合すると、「番組の演出によって出演者が好かれ、または嫌われ、それに基づいた反響が出演者のもとに寄せられる」図式が、恋愛リアリティーショーにはある。そこで好かれた人はいいが、嫌われた人は深刻なダメージを負うことになるのだ。