なぜ「独学者ダ・ヴィンチ」は、圧倒的な業績を残せたのか?Photo: Adobe Stock

これからビジネスパーソンに求められる能力として、注目を集めている「知覚」──。その力を高めるための「科学的な理論」と「具体的なトレーニング方法」を解説した画期的な一冊が刊行された。メトロポリタン美術館、ボストン美術館で活躍し、イェール・ハーバード大で学んだ神田房枝氏による最新刊『知覚力を磨く──絵画を観察するように世界を見る技法』だ。発売から1週間を待たずして大増刷が決定するなど大きな反響を呼んでいる同書から、一部を抜粋・編集して紹介する。

なぜ「独学者ダ・ヴィンチ」は、
圧倒的な業績を残せたのか?

 ルーブル美術館に所蔵されているダ・ヴィンチ作《モナ・リザ》は、毎年約6億人に観覧される「名画中の名画」としての地位を確立しています。1962年には、世界で最も高額とされる1億ドル(2019年で8億4700万ドル相当)の保険査定がつきました。

 また近年、新たにダ・ヴィンチの真作と認められたイエス・キリストの肖像画《サルバトール・ムンディ》は、オークションハウスのクリスティーズ・ニューヨークにて4億5031万2500ドル(当時の円換算で手数料を含み約508億円)で落札され、オークション史上最高値(2017年11月)を記録しました*。

レオナルド・ダ・ヴィンチ - Getty Images, パブリック・ドメイン, リンクによる
*《サルバトール・ムンディ》が真作であることに疑義を唱える専門家も少なくなく、特定の弟子により描かれた、あるいは工房作品であるとする説もある。また、所在はアブダビのルーヴル美術館ということになっているものの、実際には不明とも言われており、スイスの美術品保管庫内、あるいは、ムハンマド・ビン・サルマーン皇太子所有のヨット内といった噂も絶えない。

 世界を熱狂させる非凡な画才に恵まれたにもかかわらず、彼は専業画家におさまることなく、建築・発明・エンジニアリング・医学などへの貢献者でもありました。手足が動く人体型ロボット、武器が装備された戦車、理想的な都市計画、人体解剖に基づいた詳細なスケッチなど、アーティストとしてだけでなく、サイエンティストとしても歴史的な功績を次々に積み上げています。

 しかしダ・ヴィンチは、基本的な読み書きと算術以外には、当時の学校教育を受けていませんでした。非嫡出子として生まれた彼が受けた教育と言えば、芸術の師匠であったアンドレア・デル・ベロッキオ(1435~1488)の工房に入って修行した10年くらいのものです。

 そんなわけで、近年のイノベーション需要の高まりと相まって、「なぜダ・ヴィンチは独学だけで、今日にまで影響力を持つ創造を成し遂げられたのか?」に注目が集まっています。

 これに対する一般的な答えとして、よく引き合いに出されるのが「アートとサイエンスの領域をクロスオーバーした知識」でしょう。それをもって、彼こそが「リベラルアーツ教育の代表的な成功例」だとも言われたりしています。

 しかし、本当にそうなのでしょうか?

 異なる分野を越境する知識の結合は、イノベーションの条件になり得ます。しかし、知識のつながりさえ増えれば、イノベーションが起こるかというと、そんなことはありません。もしそうなのだとすれば、クイズ王は誰しも発明王になれそうなものです。

『手稿』から見えてくる「知覚重視」の痕跡

 そうした疑問を解き明かしてくれるのが、ダ・ヴィンチの『手稿(ノートブックス)』です。

 1994年11月、現存する21の手稿(約4100シートと断片)のうちの1つ「レスター手稿」(1506~08年頃、1510~12年頃)が3080万2500ドル(当時の円換算で手数料を含み約30億320万円)で落札されたときには、大きな話題になりました。落札者はあのビル・ゲイツです。これらの手稿とデジタルイメージにご興味がある方は、ぜひ私たちの「ダヴィンチ研究所」のサイトにアクセスしてみてください。

なぜ「独学者ダ・ヴィンチ」は、圧倒的な業績を残せたのか?

 この手稿は、26歳から67歳頃までのあいだに、ダ・ヴィンチが記したものです。テーマはアートからサイエンスの幅広い分野にわたり、日常生活や研究や旅行で観たこと・考えたことが、素描やドローイングを交えて事細かにメモされています。特徴的なのは、そのほとんどがミラー・ライティング、つまり、左右反転の鏡文字で書かれているということです。理由には諸説ありますが、私は単純に左利きの彼がインクのこすれを避けるために、あえて右から左にペンを運び、緻密な記録を守ろうとしただけではないかと推測しています。

 ダ・ヴィンチの手稿を分析すると、彼が知覚を重視していたことについてはもはや疑う余地がありません。彼のノートには、知覚を磨く4つの方策すべて──〈1〉知識を増やす、〈2〉他者の知覚を取り入れる、〈3〉知覚の根拠を問う、〈4〉見る/観る方法を変える──を実践していた痕跡が見られるからです。

 まず、これは改めて強調するまでもありませんが、彼は多くの分野を横断しながら、多彩な知識を集めています。アートから越境して、人体解剖学・光学・植物学・流体力学・地質学・建築学・地形学・数学などを学び、知覚の領域を広げています(〈1〉知識を増やす)。

 また、数学者で「近代会計学の父」と言われるルカ・パチョーリ(1445~1517)、パヴィア大学解剖学教授マルカントニオ・デッラ・トッレ(1481~1511)、政治思想家ニッコロ・マキャヴェッリ(1469~1527)などとも交流しながら、専門家たちの知覚を尊重し、それを積極的に取り入れていました。

 また、なかなか得られない稀少性の高い知覚は、書物で補いました。晩年までに、彼の蔵書には、動物学・宗教学・天文学・哲学・歴史・文学・数学・医学・物理学・農学などの多様なジャンルの書物が、200冊以上含まれていたといいます。少なく感じるかもしれませんが、書斎に30冊の本を所蔵するのが珍しかった当時にしてみれば、これは圧倒的な蔵書数です(〈2〉他者の知覚を取り入れる)。

 さらに、手稿をひもとくと、そこには好奇心と驚きに突き動かされたダ・ヴィンチの問いがちりばめられています。

「なぜある星は、ほかの星よりもキラキラしているのだろうか?」
「なぜ眠っているときに見る夢のほうが、起きて見る空想よりも鮮明なのだろうか?」

 こうした問いは、ソクラテス式問答法と、アリストテレスが提唱した自然現象に対する絶え間ない探究を組み合わせたものと言えるでしょう(〈3〉知覚の根拠を問う)。

 しかしながら、ダ・ヴィンチが最も重視したのは、4つめの方策「〈4〉見る/観る方法を変える」でした。つまり彼は、脳に間接的に働きかけるよりもむしろ、見る/観る方法を変えることによって、己の知覚を磨いたのです。次にこの点について掘り下げていくことにしましょう。