「ノウハウ本」には書いていない「人間としてひと皮むけるため」に重要なこととは?

佐藤優氏絶賛!「よく生きるためには死を知ることが必要だ。」。病理医ヤンデル氏絶賛!「とんでもない本だった。語彙が消失するほどよかった」。「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、仏教、神道、儒教、ヒンドゥー教など、それぞれの宗教は、人間は死んだらどうなるか、についてしっかりした考え方をもっている。
現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』が発売直後から話題となっている。コロナの時代の必読書である本書の著者・橋爪大三郎氏の特別インタビューを全5回にわたってお届けする。第3回は、宗教について。私たちは他国の人々のような信仰心を持たないことが多い。どこか距離感のある宗教、そして宗教にとって重要なテーマである「死」について。橋爪先生の宗教論と、驚くべきキリスト教の奥深さについて話を伺った。
(取材・構成/川代紗生)

学校で習ったことが役に立たない

──今回出版された『死の講義』では、「死んだらどうなるか」、宗教社会学の視点から、複数の選択肢が提案されていました。この本の魅力は何だとお考えですか?

橋爪 まず「死」について考えるときに、およそ考えることが全部、書いてあること。次に、特定の宗教から等距離にあること。

 キリスト教の立場や仏教の立場から「死」を考える、という本はたくさんあるんですが、そうすると、ほかの宗教の立場が抜けてしまうんですね。でも、この本は、どの宗教もカバーしている。だから、特定の宗教を信じている人でも、特に信じていない人でも読める本になっていると思います。

 あとは、合理主義だということですね。「みんなでまず前提を共有しましょう」というふうに宣言して、そこから煉瓦を積み上げるように、「こうですよね。ああじゃありませんよね」というふうに、一歩ずつ、手の内を見せながら議論を進めていくわけです。

 さて、今、普通の人はだいたい近代人で合理主義者なんです。

 「自分が死ぬ」ということを考えにくいんだ。学校で習うこと、たとえば数学、理科、国語、社会なんかは、「みんなで生きていると、どういう現象が起こるか?」ということなんです。もちろん人は死ぬんですけど、「誰かが死ぬ」んですよ。自分じゃないんだ。それで、いざ自分が死ぬことを考えなきゃいけないときが来ると、学校で習ったことが役に立たないことに気がつくわけです。

 いつ、それに気がつくかは人によって、まちまちですが、よくあるのは、親が死ぬことですね。大事な人だし、死ぬまでのプロセスを見ているし、誰がどう考えたって、次は自分ですね。

 どっかの誰かが死んでいるかぎり、痛くも痒くもないけど、自分が死ぬとなるとどうだろう。でも、自分が死ぬことについて考えようと思っても、手掛かりがない。考えようとしてみるとわかりますが、ツルツルで、全然、その先を考えていけないんですよ。