(2)輸出・投資主導型経済の時代

 1989年6月に天安門事件が起きた後、保守派の台頭を背景に中国では一時的に統制経済を復活させる動きが強まり、経済成長が停滞した。国家経済のパフォーマンスの悪化から見て、保守化回帰のマイナス効果は明らかだったが、天安門事件直後の中国では、経済政策運営よりも国家統治の理念が重視された。

 しかし、1992年1月、鄧小平が「南巡講話」によって改革・開放の重要性を強調。市場経済化の流れを再び呼び戻し、以後中国経済は現在に至るまで、力強い経済成長を続けることとなった。

 私有制、市場メカニズムの導入を土台とする改革・開放政策は、生産性の大幅な向上を通じて中国経済の高度成長を支えた。しかし、1990年代の中国経済は、内需の拡大とともに輸入が増加する一方、輸出競争力は脆弱であった。このため、貿易収支の黒字を維持するためには、輸入が増えすぎないように内需の拡大を抑制せざるを得ない状況が続いた。

 この成長制約から抜け出すために、中国政府は輸出競争力の強化を目指し、沿海部を中心に輸出競争力の高い外国企業の誘致に力を注いだ。そのために外国企業を誘致する経済開発区の建設、港湾整備、交通運輸インフラ建設等にリソースを集中した。その成果として、中国の安価な労働力を武器に、低コストで生産・輸出を行う外国企業の誘致に成功し、中国は世界の工場へと変貌を遂げた。それに2001年12月のWTO加盟がさらに拍車をかけ、輸出投資主導型の高度経済成長を実現した。

 2003年から2007年まで、中国は5年連続の2ケタ成長を実現した。以前の中国であれば、これほど内需が拡大を続ければ、貿易収支の黒字が縮小し、内需抑制政策に転じざるを得なかったはずである。しかし、むしろ2005年以降貿易黒字は急増し、2008年には2960億ドルという未曽有の黒字額を実現した。このように輸出競争力の強化を確認できた2005年以降、中国政府は従来の輸出投資主導型成長モデルから、より安定的な内需主導型モデルへの構造転換を推進する方向へと大きく舵を切った。