“シリコンバレーの生ける伝説”ジョン・L・ヘネシーをご存じだろうか? アルファベット(グーグルの親会社)の現会長、スタンフォード大学名誉学長という偉大な肩書きを持ちながら、コンピュータ科学分野の最高賞チューリング賞の受賞歴を誇る研究者でもある、ビジネスとアカデミックの世界を極め尽くした人物だ。そんな彼が、ナイキ創業者フィル・ナイトと「次世代のリーダー育成プログラム」を立ち上げるにあたって書籍『スタンフォード大学名誉学長が教える 本物のリーダーが大切にすること』を書き上げた。本書は、ビル・ゲイツから「あらゆるレベルのリーダーにとって不可欠な1冊」と激賞された他、シェリル・サンドバーグ(フェイスブックCOO)、サンダー・ピチャイ(グーグルCEO)など多くの著名人から絶賛を集め、2020年11月、待望の日本版が発売された。本連載では、本書からジョン・L・ヘネシーのメッセージをお伝えしていく。

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フィル・ナイトからの条件

 あるストーリーを聞いてもらいたい……。

 カリフォルニア州ペブル・ビーチでのリトリート(転地ミーティング)の際に、私はスタンフォード大学の理事たちにこう切り出した。風光明媚な17マイル・ドライブ沿いのポイント・ジョーの、海を望む小さな家でのディナーでのことだ。

 大学からの報告内容は良好で、皆がいい気分だった。大学学長としての私の任期の満了が迫っており、私は締めくくりとして達成できる何か「大きなこと」があるかを考えていた。

 それまでの数ヵ月、心の中でひとつのアイデアを温めてきて、それを大学の何人かのリーダーや理事会長のスティーブ・デニングにも打診していた。

 今度は理事会に向けてそうする時だった。

 リスクがあるのはわかっていたが、新しいアイデアを紹介する最良の方法はファクトや数字を持ち出すことではなく、ストーリーを語ることだということもわかっていた。

 そこで、こう始めた。

「150年前、ある著名なイギリスの実業家が世界中の有望な若者のために奨学金プログラムを始めました。その後、このプログラムは大きな成功を収め、セシル・ローズという人物の名前は聞いたことがない人々にもローズ財団やローズ奨学金のことが知られるようになりました。卓越した学生たちを世界クラスのリーダーに仕立てようという彼の投資は、これまで大きなリターンをもたらしています。この奨学金プログラムで育った何人かの学者たちの名前を聞いてください」

 そして私は、ロシア大使を務めたマイケル・マクフォール、上院議員のコーリー・ブッカーとビル・ブラッドレー、CIA長官のジェームズ・ウールジー、外交政策顧問のスーザン・ライス、ノーベル賞受賞者でスタンフォード大学ビジネススクール学長も務めたマイケル・スペンス、オレゴン大学学長を務めたデビッド・フローンマイヤー、作家でアスペン研究所理事長を務めたウォルター・アイザックソン、ハーバード大学医学部のアトゥール・ガワンデ、コロンビア大学医学部のシッダールタ・ムカジーらを挙げた。

 素晴らしいレガシーだ。理事たちが耳を傾ける中、私は続けた。

「我々スタンフォード大学も、21世紀に向けて同じようなプログラムの設立を目指すべきです。男性だけでなく女性にも開かれ、白人だけでなく有色人種の人々にも開かれ、旧英国領の国々だけではなく、世界に開かれたものとして、です」

 ローズ奨学金もこれまでの年月でそうした変更を加えてきたが、スタンフォード大学には、19世紀ではなく21世紀にゼロからスタートできるという利点がある。

 理事たちに考えてもらうために最後にこのビジョンを打ち出した。

「スタンフォード大学は西海岸に位置し、多様性に富み、高いアカデミックレベルを誇り、起業家的な文化を持ちます。こうしたプログラムによって、20年、30年後にどんなリーダーたちが生まれてくるのかをちょっと想像してみてください」

 そして、理事たちを自分のビジョンに引き込んだ。

「そんなプログラムを設立して未来に投資したことで、我々がどんなに誇りを抱いているかを想像してみてください」

 リスクを取ったかいはあった。理事たちは共感をもって応えてくれた。私は次に誰に話をすべきかもはっきりとわかっていた。フィル・ナイトである。ナイキの創設者であり、伝説的な慈善活動家だ。

 政府だけでなく、現代社会のあらゆるリーダーシップについて、私と同様にフィルも懸念しているのは知っていた。多くの現代のリーダーたちが賢明さに欠ける決断を下していることを彼が憂慮していることもわかっていた。なぜか?

 リーダーだからといって、知識や相応の経験、あるいは正しい価値観を持っているとは限らない。また、フィルがイノベーションの力と起業家的思考を依然として信じていることも知っていた。

 だから、リーダーシップを転換するような創造的思想家を育てるという取り組みに関心を持つだろうという、いい理由があったのだ。

 オレゴン州へ飛んでフィルに会いに行った時、話の土台となるのはローズ奨学金のストーリーだったが、その前に下地をつくっておきたかった。

 そのため、フィルがすでに知っていることから始めた。つまり、政府だけではなく企業世界でも大きなリーダーシップの問題があり(フォルクスワーゲンやウェルズ・ファーゴの問題からも明らかだった)、それは非営利組織にも見られたということだ(全米大学体育協会のスキャンダルがあった)。

 ローズが1世紀以上前にやったことを話し、そして未来に話を向けた。

 えりすぐったリーダーシップのプログラムが、どう世界の才能をスタンフォード大学とその起業家的文化に集めるか、すべての領域の学生たちを対象にし、学際的思考と協力を促すことによって、それがどんな違いを生むかということである。

「うまくいけば」と私は言った。「そして、十分な注意を払い、自分たちの基準も高めて責任を持つようにすれば、偉大な結果が生まれる」

 フィルはこう答えた。「少し考える時間をください」

 これだけの重みを持つ取り組みに対して、一晩でイエスと言う人間はいない。こんなアイデアはしばらく想像力の中で寝かせなければならないのだ。

 自分にあっているかどうかの確信が持てるまで、フィルはそれをそばに置いておく必要があった。その間、私はスタンフォード大学でのいつもの仕事に戻った。

 約1ヵ月後、フィルから電話があった。「お話しする準備ができました」

 我々がポートランドへ向かうと言ったが、彼は「いや、私が行きましょう」と言う。これは忘れられないミーティングとなった。というのも、フィルはいきなり、ふたつの条件つきで4億ドルの贈与を行うと言ったからだ。

 条件のひとつは、私が冠に同じく名前を連ねること、もうひとつは、彼がプログラムの初代ディレクターになることだ。「これに同意していただけるのならば、始めましょう」と彼は言った。

 彼の条件は賛辞だと私は理解した。多数のビジネス界のリーダーと仕事をしてきたので、こうした条件の裏に深い動機があることはわかっていた。

 フィルは、私が心底コミットしているのかどうか、あるいは単純にしっかりと関わるつもりがあるのかを知りたかったのだ。

 それらにどんな違いがあるだろう? 伝統的なベーコン・アンド・エッグの朝食で考えてみよう。この皿には鶏が関わり、豚がコミットしているではないか。

 学長職を退けば、私は旅行を予約してゴルフのスケジュールを入れるような人生のステージにあったが、ナイト=ヘネシー奨学生プログラムを活気あるものにするために、どんなに長くかかっても自分の時間とエネルギーを捧げる心の準備ができていただろうか。

 もちろん、イエスだ。

 この一連の出来事が、ストーリーを語ることから始まったのに気づいてほしい。

 実際、私が最初に相談した理事のスティーブ・デニングは、ナイト=ヘネシー奨学生プログラムの最も重要な擁護者となった。彼は、同プログラムの基金へ他の寄付を募るのに加えて、奨学生のためのインスピレーション溢れるデニング・ハウスを建てるための寄付金を贈ってくれたのだ。