発達障害のひとつであるADHD(注意欠陥・多動症)の当事者である借金玉さん。早稲田大学卒業後、大手金融機関に勤務するものの仕事がまったくできずに退職。その後、“一発逆転”を狙って起業するも失敗して多額の借金を抱え、1ヵ月家から出られない「うつの底」に沈んだ経験をもっています。
近著『発達障害サバイバルガイド──「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47』では、借金玉さんが幾多の失敗から手に入れた「食っていくための生活術」が紹介されています。
働かなくても生活することはできますが、生活せずに働くことはできません。仕事第一の人にとって見逃されがちですが、生活術は、仕事をするうえでのとても重要な「土台」なのです。
この連載では、本書から「在宅ワーク」「休息法」「お金の使い方」「食事」「うつとの向き合い方」まで「ラクになった!」「自分の悩みが解像度高く言語化された!」と話題のライフハックと、その背景にある思想に迫ります(イラスト:伊藤ハムスター)。

発達障害の僕が発見した「年末年始、何も楽しいことがない」人におすすめの場所

35歳で「コンビニの楽しさ」に気づいた

 僕は今年35歳になりまして、おっさんというには青臭く、かといって若者というには年を取りすぎたというナイーブな年齢なのですが、「人生、悪くないな」と感じることが増えました。それは、うまく表現することができないのですが、「楽しめることが増えてきた」ということのような気がします。

 かつて、僕はコンビニエンスストアのアルバイトが全くできなくて、数ヵ月勤めて逃げ出しました。あの頃は、とにかく作業が苦痛で苦痛で仕方がなく、時間がまるで過ぎないと時計ばかり眺めていたことを覚えています。しかし、最近になってコンビニを経営する友人ができまして、十数年ぶりにコンビニエンスストアの内部を取材ということで見せてもらったのですが、これが実に面白かったんです。

 あの商品の陳列やアルバイトでも回せるようにつくり上げられた業務オペレーション、レジのシステムに洗練の極みともいうべき商品開発力。一度会社を経営した今見ると、あれはまさしく驚異という他ありませんでした。もっと見せてもっと見せてと盛り上がって煙たがられてしまう始末でした。

 しかし、当時17歳か18歳の僕に、この「面白さ」はまるで見えませんでした。そこにあったのは、ただ単に苦痛で面倒な時給のための作業だけだったと思います。それが10年と少しが過ぎるとまるで見えてくるものが違うのだから驚いてしまいます。

 かつて、人生が本当につまらないと感じていたころを覚えています。睡眠薬依存症で病院に担ぎ込まれた理由の大きい部分は「楽しいことがなかった」ということにあると、今では強く感じます。とにかく薬物で酩酊してわけがわからなくなれば楽しいような気が、あの頃はしていました。

 世の中には、実は楽しいことがたくさんある。それが見えていないのはとてももったいないことなのだと思います。もちろん、10代の僕に35歳になった僕が「おいおい、コンビニは歩くだけで面白いぞ? もっとよく見ろよ、すごいだろあのシステム」なんて説教をしても「うるせえおっさん」と殴り掛かってくるでしょうが、それでもやはり35歳の僕としては「コンビニバイトから見える景色は面白い」といいたいのです。

 これは、僕が自分の会社を潰して零細企業の営業マンになったときも感じたことでした。かつてはまるで見えなかったものが見えるようになり、上司の苦労や会社の経営状態や、あるいは上司たちの真似できない技能が見えてくると、急に仕事が面白くなりました。もちろん、仕事ですから面白いことばかりとはいきませんが、一度面白みが見えてくると技能の習得や理解が一気に加速するというのもまた事実ではあります。学校の授業の中に「面白い」教科がひとつでもあった人ならこの感覚は理解していただけるでしょう。

人生は、少しずつだけど楽しくなる

 もちろん、たとえば「受験勉強がゲームとして面白い」みたいな感覚を持てる人は一種のギフテッドです。多くの人はそんな感覚は持てませんし、仕事も受験もそうそう楽しいものではありません。でも、社会人になってふと勉強がしたくなる人が案外たくさんいる通り、そこにも「面白さ」は隠れているのです。

「世界から楽しさを見出そう」なんて偉そうなことはいいません。毎日反吐(へど)を吐きそうになりながら通う仕事に「楽しさを見出せ」なんていうやつはクソです。しかし、僕がいいたいのはこういうことです。世界は、見る角度や解像度によって、楽しいことがたくさん潜んでいます。

 あなたの経験が増え、さまざまな物事への理解が増すにつれ、ある意味では加齢に従って人生は、少しずつ楽しくできます、楽しくなります。そして、発達障害を抱える人にとってそれはきっと「発達」というものなのではないかと僕は思うのです。

 僕たちは発達します。