お手伝いからプロデューサーへ

川原:最初は副業でお手伝いをしていたくらいだったんです。

 僕と麻理恵さんが初めて知り合ったのは21歳、互いに大学生だった頃のことです。社会人になってからも友人としての交流は続いて、28歳くらいでお付き合いをするようになったのですが、その間、彼女はミリオンセラーを出して、どんどん忙しくなっていって。

 僕は人材教育系の会社でコンサルタントをしながら、彼女の仕事を手伝い始めたんです。すると、すぐに本業を上回るくらい忙しくなって。7年お世話になった会社を辞めるときには勇気が必要だったけれど、社長に相談したら、「それはあなたしかできない仕事だから頑張りなさい」と理解していただけて。そこから本腰を入れるようになりました。

佐渡島:副業から始めてなめらかにシフトしている。そのなめらかさも、今っぽいですね。

川原:確かに自然な流れでした。そういうわけで、最初に僕が引き受けていた役割は、麻理恵さんが仕事をする現場のお手伝い。

 片づけのゴミ袋を広げたり、時間の調整をしたり。その様子を見て、麻理恵さんは僕をビジネスパートナーとして信頼してくれたそうで、表現の仕方や仕事を選ぶ判断についても相談してくるようになったんです。

 今のような会社の形にしたのは、本格的に海外進出を決めてからのことです。プロジェクトの規模が大きくなるにつれ、きちんと組織の形にする必要があると判断しました。そして、ビジネスの交渉は得意ではない麻理恵さんに代わって、僕が社長に就きました。状況に応じて少しずつ役割を拡張していった結果、プロデューサーという立場が定まっていった感覚です。

佐渡島:きっと現実は怒涛な日々なのだと思うけれど、感覚としてはナチュラルですね。

 従来の“Doの時代”は「見る前に飛べ」の価値観だったと思うんです。だから成功するために覚悟が必要だった。でも、“Beの時代”は覚悟を持ってBeになるのではなく、緩やかにBeになっていく。つまり本来の自分自身に近づいていく。

まさに、川原さんが歩んだ道そのものが「Be Yourself」なんでしょうね。

川原:そう言ってもらえてうれしいです。(後編に続く)