「幸せなリーダー」が求められる時代に

岸見 ただ、リーダーシップについてアドラーが書いている本を読んでみると、彼自身も迷っていると思える箇所が多々あります。たとえばファシズムが台頭してきた危機の時代に書かれた本の中で、彼は「行き過ぎていなければ、この危機の時代を乗り切るためには横柄なリーダーも必要だ」と言っています。リーダーが部下の上に立つ構造を、この危機の時代にはある程度認めないといけない、と言うのです。

 私はそれを読んだときに驚きました。そして、端的に言って、それは間違いだと思います。危機の時代であろうと、アドラーの言うところの「平穏な時代」であろうと、リーダーが「上」であるという考えは間違っている。

 リーダーは、部下の上に立っているわけではありません。両者はただ役割が違うだけ。それに伴って責任の大きさが違うだけです。決して偉いわけではないと、まずはリーダー自身が気づく必要があるでしょう。

 もうひとつ、コロナ禍だからといって、リーダーが「自分が頑張らないといけない」「自分が成果を挙げなければならない」と思ってはいけません。むしろ個々人が「自立」していけるよう援助することこそ、リーダーの果たす役割だといえます。

 ともかく、これまで誰も経験したことがない、大きな意識の変革がリーダーには求められるはずです。

出雲 とてもよくわかります。たとえコロナが流行していなくても、今は社会の変化がとても早い。リーダーシップのあり方が変わらない状況は、その企業にとって自殺行為に等しいといえるでしょう。

 実際、岸見先生のおっしゃるような新しい時代のリーダーは私の周りではすごく増えているし、育ちつつあるんじゃないかな、と感じていて。そこは楽観的に捉えていますね。

岸見 そういえば、知り合いに入社した会社を早々に辞めてしまった若者がいます。なぜ辞めたのかと聞くと、いちばん大きな理由は「先輩や上司を見ていても少しも幸せそうでなかった」からだそうです。「自分が幸せかどうか」は、これからのリーダーたちが自覚しないといけないことです。

 幸せでないオーラを漂わせている人に、若い人はついてきません。アップデートされていないリーダーたちは、「それは若者の甘えだ」と言うかもしれません。

 しかし、幸福であるためには、自分に価値があると感じられることが必要です。なぜなら、自分に価値があると感じられたら、仕事に取り組む勇気を持て、仕事をすることで貢献感が持てるからです。でも、仕事で貢献感を持てなければ、自分に価値があるとは感じられず、幸福にはなれないのです。

 幸福を体現しているリーダーがいない職場に、若い人は留まらない。リーダーたちはそれを知り、自覚しなければなりません。同時に、ただ競争に勝ち、自社の利益を追求することでは「より大きな共同体」に貢献できず、貢献感を持てなければ、ひいては幸福になれないことを知らないといけないでしょう。

 出雲さんが問題提起してくださったように、コロナ禍ではリーダーシップはじめ、いろいろな問題や変化が起こりました。しかし、これはもともとあった問題が顕在化しただけです。原因ではなくきっかけなのです。

出雲 本当にそのとおりだと思います。

岸見 コロナ禍や自然災害は人知を超えていて、人間にはどうすることもできない側面を持っています。しかし、なぜこんなことになってしまったのだと嘆いても仕方ない。先ほど出雲さんが言われたように、我々は常に「これからどうするか」を考え、生きていかなければならないのです。

岸見先生と出雲氏の対談完全版はこちらから!⇒ https://youtu.be/w1OdV3F3m1c

「コロナ禍におけるリーダーとは?」――ユーグレナ社長・出雲充が『嫌われる勇気』著者・岸見一郎へ問う