コロナ禍で「課題の分離」に救われた人々

出雲 新型コロナウイルス感染症の流行に際し、とくに緊急事態宣言中は、『嫌われる勇気』の売り上げが伸びたと聞きました。これ、明確に理由があると思っていて。

岸見 なんでしょう?

出雲 先ほどの「課題の分離」という考え方を知るだけで救われる人が大勢いたから、ではないでしょうか。

 コロナによって在宅ワークが普及し、家にとじこもりがちな日々がつづく中、家族との生活でストレスを抱える人も少なくなかったと聞いています。今まで好きだった相手でも、自分の課題に土足で入り込まれつづけると嫌になる。「もう一緒にいたくない」と決めると、嫌なところばかり目に入る。そうして、どんどん関係が悪くなってしまう。

 でも、『嫌われる勇気』を読んだことがあれば、「こういう状況ではお互いに『課題の分離』が必要だ」とわかります。この本の売り上げが伸びたのは、読んだことのある人が苦しむ友人や家族に「読んでみて」とすすめたからこそ、でしょう。私自身、数えきれないくらいたくさんの人におすすめしましたから。

「コロナ禍におけるリーダーとは?」――ユーグレナ社長・出雲充が『嫌われる勇気』著者・岸見一郎へ問う岸見一郎(きしみ・いちろう)
『嫌われる勇気』著者
1956年京都府生まれ。 哲学者。著書に『嫌われる勇気』(共著・古賀史健)、『人生は苦である、でも死んではいけない』『ほめるのをやめよう』『これからの哲学入門』他多数。

岸見 たしかに、カウンセリングにやってこられた人に「これはいったい誰の課題でしょうか?」と問うことは多く、ほとんどの問題はそれで解決すると言っても過言ではありません。

 つまり、本来は引き受けられない他人の課題を引き受けて苦しんでいる人が、多いのです。ですから「それは自分の課題ではない。自分がどうこうするべきことではない」と理解するだけで、ずいぶん見晴らしがよくなります。

 アドラー心理学において、「課題の分離」は最終の目標ではありません。しかし、特にコロナ禍では自分の「できること」と「できないこと」をまず見極め、その上で個々人ができることをして、協力しながら生きていく必要があります。そのためにはまず、「これは誰の課題か」をはっきりさせなければなりません。

 これは出雲さんのおっしゃるとおり、社会的な問題に限らず、家庭でもそうです。家族関係に問題を抱えた場合も、これは私の課題、これはあなたの課題と、もつれてしまった糸をひとつひとつほぐしていく作業が必要です。

出雲 おっしゃるとおりですね。

岸見 『嫌われる勇気』は、一読した段階では「実践するのはむずかしい」と思われがちです。でも、できることから実践していくと「人生が変わった」と実感する人が多い。すぐにすべてが解決するわけではなくとも、明らかに前とは違ってきているという手応えを感じられるのです。

「自分が今何ができるかを考え、まずできることをすれば、その瞬間に人は幸福になれる」――これがアドラーの考え方です。ですから、アドラー心理学は今この大変な状況でも、学ぶことで希望を持てる思想だと私は捉えています。むしろこんな時代だからこそ、この本が多くの人の力になれるのではないか、と。

出雲 ええ、間違いありませんよ! 

リーダーは「不完全である勇気」を持て

出雲 今日ぜひとも先生とお話ししたいテーマがあるんです。それが、リーダーシップについてです。

 コロナ禍においては、みんなそれぞれに大変な思いをしています。その中でもとりわけ大変な人を挙げろと言われたら、やはり「リーダー」と呼ばれる人ではないかと思うんですね。国のリーダー、会社のリーダー、組織のリーダー、あるいは家族のリーダー。

 なぜなら、このような有事の際にはとくに「私はこんなに大変だ。こんなにつらいんだ」と「あの人はあんなに悪いことしている。ひどいやつがいるんだ」のふたつの主張がその集団に蔓延してしまうからです。つまり職場なら職場が、「かわいそうな私」と「悪いあの人」の話に満ちてしまう。

 実際、リーダーに対して「ちょっと話があるんですけど……」と相談してくるのは、大体このどちらかのパターンです。これをまじめなリーダーが——日本人の多くがそうですが——全部聞いてしまうと精神的に押しつぶされてしまいます。

 しかし『幸せになる勇気』では、「三角柱」を提示していますよね。「かわいそうな私」「悪いあの人」に加えてもうひとつ、「これからどうするか」が必要だ、と。

 私はこのアドラーの教えに触れて以降、会社で「かわいそうな私」と「悪いあの人」の話を聞いたら、その後に必ず「じゃあ、これからどうするか」と問うようにしました。すると本当に、みんな変わった。未来を見るようになったんです。そしてこうして未曾有の事態にも、前向きに対応できています。

 こうした経験を踏まえて、「これからどうする?」とリーダーが問うことは、会社や家、学校などあらゆる集団においてより大切になってくるのではないかと実感しています。先生はこのコロナ禍においてのリーダーシップについて、どのようにお考えですか?

岸見 未曾有の事態において大切なのは、リーダーが不完全である勇気を持つことです。

出雲 不完全である勇気、ですか。

岸見 ええ。たとえば新型コロナウイルスは未知のウイルスですから、これから真冬に向けてどうなっていくかもわかりません。すべてが人類にとって未体験なのです。

 そういうものと対峙するときには、まず「リーダーだからといってすべてを知っているわけではない」と認めるべきです。会社であれば部下、学校であれば子どもたちにはっきり表明していいと思います。「私も何が起こるか分からないけれど、みんなで協力し、これからどうするかを一緒に考えていきたい」と。

 未知ですから当然、失敗することもあるでしょう。正しいと思って打ち出した方針が間違いかもしれません。そのときに、自分がリーダーとして劣っていると思われることを恐れずに、「私が最初に出した方針は間違いだった。だから方針を撤回して今度はこういうふうにやっていきたいけれど、みなさんはどう思いますか」と素直に言える。そんなリーダーだけが、これからは生き残れると思います。

出雲 なるほど。僕も、いまこそリーダーシップのあり方をアップデートしないと苦しいと感じています。

 岸見先生のご著書『ほめるのをやめよう』にも書かれていましたが、高度経済成長期は、自分の有能さを誇示するリーダーにみんなが従って、世の中の問題を解決してきました。

 でも今起こっているコロナの問題も、たとえば気候変動や地球温暖化対策も、今までのリーダーシップのアプローチでは絶対解決できないんですよね。先生のおっしゃるように、リーダーの不完全さを自身も、周りも、受け入れるべきなのかもしれません。