組織文化とは、集団の持つ「好き・嫌い」

楠木:一方、同じ価値観でも、組織文化はその組織の局所的なものです。例えば、お土産を渡すときに「つまらないものですが」と言うのは日本特有の文化です。しかし中国人にそう言うと失礼になる。これは普遍的な良し悪しの問題ではありません。中国という国の文化が、日本という国の文化と違うだけです。

 アメリカから始まったインターネットは文明です。敵対するイスラム教徒であろうと、困れば「ググって」います。それが普遍的に効率良く、便利だからです。

中竹:とても分かりやすいですね。

楠木:その意味では、文明をリードする国は確実に存在します。かつてのローマ帝国はそうでした。ローマ帝国は文明の仕組みであり、文化の仕組みではありません。カギになっていたのは、ローマの文明の道路敷設などの土木技術です。ローマ帝国に支配されると、明らかに生活クオリティが上がる。それゆえに、ローマ帝国はあれだけ大きくなっていったのです。

中竹:確かに、ローマ帝国を統治していたのは文明でした。

楠木:だからこそ、当時はローマ帝国の配下にあることが誇りになったわけです。こういうのが文明の文明たるゆえんです。

 普遍性の軸で文明の反対側にあるのが文化で、文化とは、あっさり言うと「好き・嫌い」です。

 ラグビーとサッカーのどちらが好きかと尋ねられて、「私はラグビーが好きです」というのは、その個人に局所化された好き・嫌いです。個人にまで局所化されてしまうと、もはや文化という言い方はぜずに単なる好き・嫌いです。しかし組織文化も、本質的にはその組織や集団の持つ好き・嫌いだと、私は思います。要するにその組織や集団の価値観です。良し悪しではない。

中竹:組織文化の局所的なところが変わっていくプロセスにおいて、どのような要素が入ってくるんですか。

楠木:普遍的な良し悪しの問題であれば、話は単純です。例えば、コンプライアンス。反社会勢力とつき合ってはいけないと規定されている。「そうは言ってもオレは彼らが好きなんだ」という「文化」が仮にあったとしても、それはやはりコンプライアンスコードに抵触しているので、話はおしまいになります。

 しかし組織文化は良し悪しではありません。客観的なルールに基づいて「悪いことだから是正しなければならない」というロジックは成立しません。これが難しいところです。

 もちろん、組織文化がまだ固まっていない状態であれば変えやすいでしょう。しかし反対に、がっちりと組織の中の人々に組織文化が共有されているような、古くて大きな企業は、それを変えるのは難しいでしょうね。

 そういう組織で文化が変わるとしたら、ものすごくパフォーマンスが下がっている状態が普通です。会社でいえば業績が悪いこと、スポーツチームでいえば連戦連敗であること。こんな状態になると、自然と「自分たちがいいと思っていたことは、本当は良くないのではないか」と考えるようになります。

 しかし、業績は良くも悪くもない、成績は中位ぐらい、何かを変えなければならないわけでもなく、自分たちの良し悪しの基準はがっちりと共有されている、というような場合には、「いまの状態が間違っている」と思い直すことができないので、文化を変えるのは難しい。

中竹:成果を出ている組織であれば、なおさらですね。(次回に続く)

――対談前半で楠木教授は、組織文化について「本質的にはその組織や集団の持つ好き・嫌い」と定義してくれました。そしてそれは、好き・嫌いであるがゆえに、組織の中で文化が深く共有されている古くて大きな企業などでは、それを変えるのが難しいといいます。対談中編(2021年2月17日公開予定)では、組織文化が色濃くあることのメリットや、それを変えるためのマインドセットについて対話を深めていきます。組織文化について語り合うコミュニティ「ウィニングカルチャーラボ」で、みなさんの属するチームや企業、組織の文化について、一緒に語り合いましょう。