一流大学合格では、人生は変わらなかった
そうこうしながら冬になり、ホンデの入試に臨んだ。そしてその年、四度目の挑戦でようやくホンデに合格した。
この経験談を、あきらめずにチャレンジし続ければ夢は叶う、というサクセスストーリーとして読み取ってしまったなら、まったくの見当違いだ。これは目標を見誤ったがために、ほかの選択肢はないと妄信してしまうことがいかに愚かであるかという話である。
僕がホンデを渇望していた理由は、美大の最高峰であるホンデへの合格が人生を変えてくれると信じていたからだ。大人たちも、一流大学に入りさえすれば人生は必ず成功すると語っていたし、誰もが美大といえばホンデだと口をそろえた。ホンデ卒というだけで大企業からのスカウトが絶えないという噂も聞いた。
「それだ! ホンデに入れば、うつうつとした僕の人生も一発逆転だし、誰も僕を軽視できなくなるはず!」
当時は、それだけが唯一の希望だった。
しかし、その考えがどれだけウブで単純なものだったかわかるまでにそう時間はかからなかった。あれほど苦労してホンデに入学したというのに、人生が変わることはなかった。
キャンパスのロマンや学びへの情熱はおろか、ひたすら学費を稼ぐためのアルバイトばかりの毎日。大企業からのスカウトなんていう噂も、文字通り”噂”にすぎなかった。誰もが自分の食い扶持を探すことに奔走していた。そして、僕は道を失った。
道は絶対に一つではない
そんなとき、公務員試験に四浪したあげく自殺したという青年のニュースを耳にした。母と一緒に田舎へ帰る道すがら、パーキングエリアのトイレで首を吊ったという。
どれだけ思い悩み、苦しんだことか。また、どんなに申し訳ない気持ちだっただろうか。多くの若者が公務員試験に群がる現実も嘆かわしいが、そこで失敗したからと命まで絶ってしまう現実はもっとやるせない。
公務員が大事な命をかけるほどの大仕事でもあるまいしと、この青年の気持ちが理解できない人も多いだろう。しかし、人間というのは何かに執着し始めると、ほかのことはまったく視野に入らなくなるものだ。僕も死のうと思ったくらいだから。
ほんの少し顔を上げて周囲を見渡すだけで、ほかの選択肢がいろいろとあると気づくのに、執着してしまうとそれが見えなくなる。たった一つ、この道だけが唯一の道だと信じた瞬間、悲劇が始まるのだ。
道は絶対一つではない。そして信じて進んだその道が、歩んでみると思い描いたものではなかった、ということも実に多い。だから、「絶対あきらめるな」という言葉が嫌いだ。命以外なら全部あきらめたっていいとすら考えている。
もちろん、なんの努力もせず簡単にあきらめていいとは言わない。思い描く目標があるなら最善を尽くしてみるべきだ。そのうえで、何度か挑戦してダメならば、勇気を持って潔くあきらめるのが正しい。僕のように三浪までしたりと、しつこくしがみつくことはズバリ執着だ。
「絶対あきらめるな」という言葉ほど、残酷な言葉はない。ましてや、その目標をあきらめられずに命まで絶ってしまうなんて、そんな悲劇がどこにあるだろう。世の中にはたくさんの道が存在する。一つの道にこだわりすぎるのは、ほかの道をあきらめていることと同じだ。
あまりにもつらく、耐えがたいならあきらめろ。あきらめたって問題ない。
道は絶対、一つじゃないから。
(本原稿は、ハ・ワン著、岡崎暢子訳『あやうく一生懸命生きるところだった』からの抜粋です)
イラストレーター、作家
1ウォンでも多く稼ぎたいと、会社勤めとイラストレーターのダブルワークに奔走していたある日、「こんなに一生懸命生きているのに、自分の人生はなんでこうも冴えないんだ」と、やりきれない気持ちが限界に達し、40歳を目前にして何のプランもないまま会社を辞める。フリーのイラストレーターとなったが、仕事のオファーはなく、さらには絵を描くこと自体それほど好きでもないという決定的な事実に気づく。以降、ごろごろしてはビールを飲むことだけが日課になった。特技は、何かと言い訳をつけて仕事を断ること、貯金の食い潰し、昼ビール堪能など。書籍へのイラスト提供や、自作の絵本も1冊あるが、詳細は公表していない。自身初のエッセイ『あやうく一生懸命生きるところだった』が韓国で25万部のベストセラーに。