話題になった
「わきまえる」とは何を指すか

 さて、話題となった森氏の発言だが、それを聞いた多くの人が想起した「わきまえた発言」とは、以下のようなものではないだろうか(当人がどのような意図で言ったかは考慮しない)。

 (1)立場は何でもよい
 (2)会議の執行部側の意向に沿うような内容を
 (3)適切なタイミングで
 (4)好意的に
 (5)「その団体全体にとって」ではなく、「執行部側にとって」良い結果になるように

 発言されたもの。

 簡単に言うと、執行部側の意向を忖度(そんたく)した意見ということになる。

 これが本来、会議にとって“わきまえた”良い発言かというと、そうとは言えないだろう。しかし、残念なことに、上記のような発言以外はすべて「わきまえない」と認識している人もいるのだ。

 本来の「わきまえた発言」とは、

 (1)発言の立場を明示し
 (2)背景や事情などが不明な内容についての説明を求めたり、思考の枠組みの弱点を補強するための質問をしたり、あるいは評価基準の補足や評価そのものについて、別の考え方もあるということを示したりしながら
 (3)議事進行に合わせた適切なタイミングで
 (4)中立的かつ柔和に、過度に否定的にも、攻撃的にもならず
 (5)個人が目立つのでもなく、特定の権益を確保するのでもなく、当該団体全体の価値増大を目的として発言されたものだといえるだろう。

 しかし、本来の「わきまえた」発言が歓迎されるか、否定されるかは、その場のリーダーの性格や、その団体の置かれた状況(余裕があるかないかなど)によって決まる。一般的に、賛成勢力と反対勢力が拮抗している、話が複雑でまともに説明し始めると参加者をかえって混乱させる可能性がある場合は、できるだけ発言を封印し、さっさと決めたいという力が働く。

会議を混迷させる
「わきまえない人」とは

 自分の発言が執行部の意図に沿っておらず「わきまえていない」から、邪険に扱われているという愚痴を聞くことがある。そういう場面も確かにある。しかしながら、そんなことではなく、本当に“わきまえていない”ので、どうにか改善してほしいと思うケースも多々ある。