ロータリーエンジン開発に
苦闘の歴史

 独NSUからRE技術のライセンスを取得したマツダが山本健一氏をリーダーとする「ロータリーエンジン研究部」を設立したのは、1963年のことだ。「おむすび形」のローターが回転し動力を発生させるREは、構造上その耐久性に課題を抱えており、開発は困難を極めた。

 1967年、紆余(うよ)曲折を経てようやく世に出すことに成功する。それが、2ローターのREを搭載した「コスモスポーツ」だった。その後、マツダはRE搭載車第2弾となるファミリア・ルーチェを発売。当時世界最大の市場だった米国でも好調な売れ行きを示し、「REのマツダ」の名を欲しいままにした。

 しかし、1970年代に入ると状況は一変する。排ガス問題に加え、石油ショックを契機とする燃費問題が一気に浮上したのだ。マツダのREは燃費の悪さでたたかれて、米国市場を筆頭に大幅に売れ行きはダウン。マツダの経営に深刻な影響を与えることになった。

 1991年には、4ローターの「787B」を引っ提げて参加したル・マン24時間耐久レースで、日本車としては初となる総合優勝を遂げるなど華々しい活躍をしたものの、2012年の「RX-8」の生産終了をもって、マツダのRE搭載市販車の歴史は幕を閉じることになった。

 それでもマツダは、REの開発を諦めることはなかった。例えば環境対応の新世代技術として、燃料に水素を使用する「水素RE」を水面下で開発してきたのも、マツダのREに対する執念があってこそのものだろう。

 今回、マツダが独自の「マルチ電動化技術」としてREをレンジエクステンダー仕様車で活用することは、REへの苦闘の歴史を実らせたものといえる。

エンジンにこだわりのある
マツダが推進する電動化戦略とは

 そもそもマツダは、新世代エンジンである「SKYACTIV-X」に代表されるように、内燃機関の進化に独自のスタンスを持っていることで知られている。だが、世界各国の環境対応・排ガス規制は年々厳しくなるばかり。その対応として、今後はピュアEVを含めた電動化戦略を推進していく構えだ。