危機かどうかではなく、危機感があるかどうか

村上 まわりの同世代を見ていると、漠然とした不安を持っている人が多いです。ただ、ちょっと気になっているのは、危機感があまりないことです。不安はあるけれど、なんとかなるだろうという感覚ですね。不安を、具体的な行動に昇華させていない。不安があるというだけで、何も行動はしていない。そういう人がほとんどなのではないか、と。危機感があったとしても、行動までは落ちているようには見えないんです。

キム 不安を持つ人には、3つのパターンがあると思うんです。ひとつは、不安を持っているけれど、そこに気づこうとしない人。不安に気づいているんだけど、そこに向き合おうとしない人、といってもいいかもしれない。
もうひとつが、不安が進んで、明日に対する心配になり、今日の生きる力を奪ってしまう人。しかし、何かの行動を起こすまでには、自分の思考が至っていない。

 そして三つ目が、これはおそらく村上さんがそうだと思うんですが、不安というものが、ある意味では将来に対する可能性の表れとして捉える人。まだ実現されていない未知なるものに対して、人間は不安を持つのは当然なんですが、未知に遭遇したり、そこに飛び込むことによって、今まで見つけられなかった未知の自分や新しい自分に出会うことができたり、自分自身を生まれ変わらせたりすることができるんですよね。

 その意味では、不安と直面したときの姿勢によって、人間は成長の角度、また衰退の角度が決まっていくのではないかと僕は思っているんです。ですから、不安を持っているのは、健康な証拠であると自分に言い聞かせると同時に、その不安というものを将来的な結果につなげていくのは、自分自身しかいないと気づくことが重要です。

 不安を放ったらかしにしておくのではなく、心配に発展させてしまうのでもなく、不安というものを新しい可能性にしていくために自らが行動を起こしていく。そんなふうに建設的で、ポジティブに捉えていくことしか、人間は不安には対処できないと思うんです。

村上 不安は可能性、という言葉には共感しますね。一方で私は、危機感という言葉にも共鳴するんです。大きな成果を上げておられる経営者は、危機感という言葉をよく使われます。自分は、他の経営者に比べて、圧倒的な危機感を持っている。だから成長しているんだ、と。常に危機感があるからこそ、もっと頑張らないといけない、という思いだったり、こういうところを改善しないといけない、という意識につながっていくんだ、と。

キム おそらく経営トップは、放っておいても危機感を常に持って、最善を尽くそうとするんだと思うんです。ただ、組織が大きくなって、自分一人ではとてもカバーできないほどの範囲になったときには、ある種の達観が必要になります。人間というのは、弱くもろいということです。常に従業員に危機感を抱かせていないと、競争には打ち勝てない。一方で、危機感によって、可能性以上のものを発揮できることを知っているということでしょう。

満足した瞬間や、小さな成功が、実は組織にとっては最大の危機だったり、失敗の源泉になっていくのだということを、おそらくこれまでの歴史の中で学ばれているのでしょうね。その意味では、危機かどうかではなく、危機感があるかどうかは、本当に大事なことだと思います。