昔は勤務終了時刻で帰れた
今は帰っていたら仕事が回らない

「年を追うごとに時間外勤務が増えていくのはおかしい。自分の学校だけではなく、全国の学校を変えられないか」

 埼玉県内の公立小学校で約40年間働いてきた田中氏はそんな思いで18年9月、さいたま地裁に提訴した。自ら考案した裁判上の仮名の由来は、明治天皇に公害問題を直訴しようとした歴史上の人物、田中正造。小学校で日々働きながら、身を賭してこの闘いに臨んでいる。

 田中氏の感じる「おかしさ」を理解するため、訴状を基に、公立学校教師の特殊ルールについて簡単に触れておきたい。

 給特法とその関連法令では、「正規の勤務時間の割り振りを適正に行い、原則として時間外勤務は命じない」と規定されている。

 ただし例外があって、(1)校外実習その他生徒の実習、(2)修学旅行その他学校の行事、(3)職員会議、(4)非常災害の場合、児童または生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合などのいずれかに該当し、かつ臨時または緊急のやむを得ないときに限り、時間外勤務が命じられる。いわゆる「超勤4項目」と呼ばれるものだ。その代わり、冒頭の教職調整額が毎月支給されている。定年間際の田中氏は、月約1万6000円だった。

 裏を返せば「立て付け上」は、超勤4項目以外に命じられた時間外勤務というものは「存在し得ず」、超勤4項目以外の時間外勤務は「教師が自主的・自発的に行っている業務」と見なされてきたのである。

 この特殊ルールを頭に入れた上で、田中氏の新人の頃(1981年)と近年の働き方を比べた下表を見てほしい。

 本来の出勤時刻は午前8時半、退勤時刻は午後5時で、休憩時間は合計45分。しかし近年は朝マラソン、自習、下校指導などの結果、時間外勤務が常態化していたり、休憩時間が満足に取れていなかったりする。繁忙期には自宅に仕事を持ち帰り、休日出勤もある。田中氏は訴訟で、月平均約60時間の時間外勤務があったと主張している。

「若い頃も不満はあったが、勤務終了時刻で帰ることができた。今は帰っていたら仕事が回らない」と田中氏。文部科学省は近年、教師の働き方改革に躍起だが、学校現場が変わる気配は乏しいという。直近では新型コロナウイルス感染症対策の関連業務も増え、「もう何でもありですよ……」とぼやく。

 田中氏によると「教師の行うべき仕事を校長が全て決めることができ、仕事を無限に増やせる。その結果として勤務時間内に、課された作業を全て終えることはほぼ不可能」なのが実態。「校長は勤務実態を把握しているのだから、明示・黙示の命令の下、業務に従事させているといえる」と指摘する。

 なお田中氏は裁判の過程で、労働時間の限度(1日8時間、1週間40時間)を定めた「労働基準法32条」違反による国家賠償請求(請求額は同額)を、予備的請求(優先順位が上の請求が認められない場合に備えてあらかじめ主張しておく請求)として加えた。これが過去の類似裁判と一線を画す「仕掛け」となる部分だ。