授業についていけない子の特徴

 これらの区別には、すべて共通の基準がある。それは、日常生活の具体的な場面における会話で用いる言葉か、教室で授業を受けるときなどのように抽象的思考や議論をするときに用いる言語か、ということである。つまり、コミュニケーションの道具としての言語が生活言語であり、思考の道具としての言語が学習言語である。

 このように言語能力を日常会話に用いる生活言語能力と抽象的思考に用いる学習言語能力に区別する視点はとても重要である。日本語を何不自由なくしゃべっていても、勉強ができない子、知的活動が苦手な子がいくらでもいることからわかるように、知的活動をする際に大事なのは学習言語能力を磨くことである。それができないと、授業についていけず、ものごとを深く考えることができない子になってしまう。

 ふつうにしゃべっているから言語能力は問題ないと思っていると、順調に発達しているのは生活言語能力だけで、学習言語能力は未熟なままということも十分あり得る。ペラペラ饒舌にしゃべっているから大丈夫と安心していると、学校に行くようになってから授業についていけないということが起こることもある。

 おしゃべりの能力と知的能力が別物だということは、教育現場に身を置く者なら日頃から痛感しているはずだ。教師は授業中もおしゃべりをやめない子に手を焼くものである。でも、そういう子どもたちにも言い分はある。授業を聞いても理解できず、まったく興味をもてないため、ついおしゃべりをしてしまうわけで、どうにも仕方がないのだ。学習言語を発達させてこなかったのは本人だけの責任とは言えない。

 幼稚園までは能力にかかわらずみんな同じように過ごせても、学校に行って勉強するようになると、どの教科でも徐々に抽象的思考力を必要とするようになっていく。そこで学習言語を発達させていない子はつまずく。教科書や教師の言葉の意味がわからず、授業についていけなくなる。