妻の浮気が原因で離婚。突如、5歳の息子との父子家庭になった。手元に残された全財産は90万円。定時退社で保育園へ息子を迎えに行く毎日で、残業代ゼロ。年収400万円で、カツカツの生活だった。ギリギリの節約生活で、4年で1000万円を貯め、本格的に株式投資を開始。紆余曲折を経ながらも某企業の大株主になり、資産2億円以上を築いた。離婚して父子家庭になり、全財産90万円から資産2億円以上を築いた父親が、投資術を初公開。いま息子へお金と投資の話を教える『どん底サラリーマンが株式投資で2億円』

株価 下落Photo: Adobe Stock

投げ売りしたくなるときこそ、買うべきとき

「ほっとけ投資」の最初の試練は、2008年に訪れたリーマン・ショック。

このとき日経平均は一時期6000円台まで下落した。

リーマン・ショックでは持ち株はもちろん、保険のつもりで持っていたインデックス投資信託、確定拠出年金(401k)までも半値近くまで暴落した。

アホらしくなってしまい、投資信託はすべて投げ売りしたが、その日がそのファンドの最安値で、上昇に転じた。

以来、ファンドという商品が大嫌いになってしまった。

同時に、何度も同じような失敗をくり返す自分の未熟さを痛感した。

今度こそは「投げ売りしたくなるときこそ、買うべきとき」と胸に刻み、市場に翻弄されるのは金輪際止めようと決意したのだった。

しかし、次なる試練が訪れる。

2011年3月11日金曜日の東日本大震災だ。

震災が発生したのは、大引け間近の午後2時46分。

株式市場への影響は、翌週14日の月曜日から始まった。

14日は投資家の売り注文が殺到し、終わり値は1万円の大台を割り込んだ。

15日には、大津波が直撃した福島第一原子力発電所の事故で放射線量の上昇が伝わり、日経平均は1000円以上の大幅下落を記録した。

「ほっとけ投資」の保有株も半値以下に下落していた。

ショックを受けたくなかったので、しばらくは証券口座にログインすることもなかった。

なかでも株主欄に名前が載ったA社の株価は買値平均の3分の1まで下落した。

このときは大株主の1人としてA社の株を泣く泣く買い支えた。

結果的にその日がA社株の最安値。それから株価が少しずつ上昇に転じた。

リーマン・ショックで得た「投げ売りしたくなるときこそ、買うべきとき」という教訓がようやく活かせた。

リーマン・ショックでも東日本大震災でも、激しく動揺した。

でも、「ほっとけ投資」を諦めることはなかった。

それが、いまの資産形成に貢献している。

「ほっとけ投資」を最終的に解消したのは、2018年。

資産の大半を占めていたA社の株価が想定した水準に達したので、すべて売却して利益確定したときだった。

これで資産は2億円を突破。人生2回目の“ダブル億り人”となった。

残された人生を考えると、5億円まで貯めなくてもいいことがわかったので、この頃から早期リタイアを真剣に考えるようになった。

2度目の“ダブル億り人”になるまで、結局12年間も「ほっとけ投資」を続けたことになる。

この間、とり立てて何かをしたわけではなく、毎日くり返される株価の上下動に目をつぶり、リーマン・ショックと東日本大震災の暴落と評価損状態にひたすら耐えただけだ。

だからこそ“ダブル億り人”になれたと思っている。

「投資すること」も大事だが、「投資し続けること」のほうがより大事なのだ。