仏様は黙って何時間でも聞いてくださる
私の師匠は、私が迷ったとき、ただ黙って仏様の前で座ることを勧めてくれました。「お父さん、お母さんの言うことが聞けんときもあるだろう。先生の言うことが聞けんときもあるだろう。けれども、もうダメだと思ったら、いいから仏様の前に来て座れ。何も言わんでいいから黙って座れ。何か言いたきゃ、仏様は黙って何時間でも聞いてくださる」
そして、あんなにも「お寺の子」として生を享(う)けたことを恨み、僧侶だけにはなるまいと心に決めていたにもかかわらず、苦しくてどうしようもないときには、気がつけば、仏様にすがって泣いている自分がいました。
今になって思えば私が苦しみのどん底にあったとき、もし「仏前」という「行き場所」がなかったならば、私もこのように生きていて、本を書くことなどなかったかもしれません。
問題に突き当たって苦悩したとき、
参考書になったのが『経典』(きょうてん)だった
また、私が問題に突き当たって苦悩したときに、必ずひも解いた参考書があります。『経典』という参考書です。
35歳で覚(さと)りをお開きになり、80歳でお亡くなりになるまでの約45年間、各地を遊行(ゆぎょう)した先で出会う人々の苦しみに対して説かれた教えが、仏教です。お釈迦様の教えが、2600年の時を超えて、民族を超えて、国境を超えて、性別を超えて、今なお世界で人々に信仰されている理由は、そこに救いとなる真理があるからです。
真理とは、時代や場所が変わっても変わらない法則や知恵のこと。それが記されているのが経典です。
そのことに気づいた私は、経典をただ唱えるだけでなく、私が突き当たっている現実社会での問題に対するヒントを、仏典に求めはじめました。
そしてあらためて知ったことは、「仏典には、顔の洗い方から、瞑想法、集中の法、家庭円満の法、子育て法、健康法、資産構築法に至るまで、人生のあらゆる悩みに対するヒントが記されている」ということでした。
そしてそれら智慧(ちえ)の書を、意味をかみ締めながら自分の中に刻みこみ、応用し、事業から人間関係まで、いちいちの思考判断の基準としたのです。