インターネットを使った相談の良いところは、面と向かっては相談できないような心の奥底を、正直にさらけ出すことができるということです。
自分の知られたくない過去、振り返りたくない過去、現在抱えている自身の傷、家族の恥部など、顔や住所を知られている菩提寺(ぼだいじ)の住職でしたら、とても相談できないだろう赤裸々な内容もあります。
そのことを踏まえた上で、相談受付はペンネームでも可能ですし、また住所などの連絡先も書かなくても可能です。けれども、ほとんどの相談者の方が、実名と連絡先を明かした上で、相談内容を送ってこられるのです。
中には、誰もが知っている有名企業の幹部や社長秘書、政治家、医師、芸能人の方々もおられます。
秘匿性(ひとくせい)の高いインターネットを使った相談が可能であるにもかかわらず、むしろ真実の自分を伝えようとなさる。それだけ私を信頼してくださっているのだと思うとありがたいのですが、それ以上に、人はどこかで、真実の自分をさらけ出して、素直な自分になりたいと願っており、またそのような場所を求めているのだろうと感じています。
2つ目は「苦しみを吐き出して可視化することによって、人は少し苦しみを手放すことができる」ということ。
相談者の方には、できるだけ自分の苦しみを詳細に記述して届けていただくようお願いしています。中には本が一冊書けるのではないかと思うほどに、ご自身の人生を書き綴られる方もあります。
そして相談内容が届いてからしばらくして、「先日お送りした相談ですが、何だかすべて書き出したらスッキリして、自己完結しそうです。相談しておいて大変申し訳ないのですが、私はもう大丈夫ですので、他のもっと困っている人たちの相談を優先して差し上げてください」というお便りが届いたりするのです。
どうやら悩みは、問題が整理されないまま、漠然と胸中に留まることによって起きているという一面があるようです。
人間は言葉で考えます。言葉で悩み、言葉で迷い、言葉で苦悩するのです。悩み相談を届けるために、心の内側を整理して書き出すという作業を通して、苦しみが外側に吐き出され、それを客観的に眺めることによって、自分で苦しみの原因に気づくこともあるのです。