傷つきやすい人の感覚は、無神経な人にはなかなか理解されないようです。お互いに、「あれ? この人、なんか話が通じないな」と感じてはいますが……。

イラスト 4コマ漫画©村山宇希

周りとは違うんだ、さみしい、孤独だ、と思う傷つきやすい人はいっそう、自分と同じ感覚で交流できる相手を求めてしまいます。「みんな」に自分の感覚をわかってもらいたいという期待を抱き続ける人もいます。

自分の感覚の特性を認める

傷つきやすい人の感覚は、そうではない無神経な人たちとは異なるということを受け入れましょう。ここで大切なのは、感覚の特性に優劣があるわけではないということです。感じ方の違いは、人の多様性の1つなのです。

そして極端なことを言ってしまえば、「わかってくれる存在」があれば、たとえ友達がいなくてもいい、と考えてみませんか。

「わかってくれる存在」とは、ペットとして飼っている生き物でもいいですし、憧れているアーティストや作家など実際に会える可能性の低い人や、アニメなどの架空のキャラクター、そして公園や庭の特定の木、ぬいぐるみやフィギュアなどでもいいのです。自分にとって何かあったときの心の拠り所となる存在であれば、実在する、しないは関係ありません。

そして、傷ついてしまったときには、「自分にぴったりくる世界」に心ゆくまでひたってください。

たとえば、自分の感覚に合う音楽を聴いたり、歌ったりする、好きなアニメや動画を気がすむまで見続ける、といったことです。

自分と感覚が近いと思える、わかってくれると思える存在がありさえすれば、そういう存在をまったく持たない場合と比べて、たとえ他の人と話がかみ合わないことがあっても、その失望と孤独感の度合いは薄らぐものです。