「どこかに行ってしまいたい」。仕事からも、絶え間なく携帯に送られるメッセージからも解放され、ここではないどこかに逃亡したい。そう思うことはないだろうか。しかし今の時代、自由に旅行することさえままならない。そんなときには地図をなぞって旅気分を味わうのはどうだろう。この思いを実現すべく、これまでありそうでなかった本が刊行される。『地図なぞり』だ。日本には魅力的な地形が多くある。そうした地形をお気に入りのペンでなぞってみると、驚くほどの没入感と「ここではないどこか」を旅する感覚を味わえる。本書を推薦する養老孟司さんも「なぞるだけ なのになぜだか ハマってしまう」とコメントを寄せる。本連載では特別に、この本からその一部を紹介する。
サロマ湖の謎
日本にはなぞりたい地形がたくさんある。
なかでも私が推したいのは北海道にあるサロマ湖だ。
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1ヵ所だけ細く途切れた不思議な地形。
小学校の地図帳でサロマ湖を見たときからずっと気になっている。
この口は埋まったり広がったりしないのだろうか。
サロマ湖をなぞりたいからこの「地図なぞり」を作ったと言っても過言ではない。
形から入ったサロマ湖だが、調べるとさらにおもしろい。
まずあの切れ目の名前は「湖口」。昭和に入ってから人工的に作られたものだった。
その証拠に伊能忠敬の地図にサロマ湖の湖口はない。
拡大画像表示 出典:国土地理院ウェブサイト
漁師のルートをたどってみる
もともとサロマ湖東部には海につながる口があった(1年中ではなく冬の間だけあくものだったらしい)。ということは西側の漁師はオホーツク海で漁をするには遠回りをしないといけないことになる。
『地図なぞり』で当時の漁師のルートをなぞって追体験してみた。
遠回りを避けるためにサロマ湖とオホーツク海を隔てる砂州を、船を持ち上げて越えたこともあったそうだ。ただこの砂州は地図で見ると2mぐらいに見えるが150mほどある。
大変なことを避けるために別の方法を考えたらもっと大変だったパターンである。
仕事でよくある。
そこで湖と海をつなぐ砂州を開削したのがこの「湖口」である。
船の出入り口だったのだ。
湖と海をつなぐとどうなるか
しかしこの方法もひと筋縄ではいかず、工事を始めた大正時代は人工的に開けても砂が堆積してもとに戻ってしまっていたとのこと。それを繰り返していた昭和4年、工事後にたまたま大嵐が訪れ穴が広がって永久にあく穴ができたらしい。
でも外海に出るのが大変だからという理由で湖と海をつなげていいのだろうか。
やっぱり生態系は変わって特産品がカキからホタテに変わったそうだ。そのホタテはいまやサロマ湖の名物である。サロマ湖の歴史の端々に登場する結果オーライさには勇気がわいてくる。
「湖口」に感じるパッション
サロマ湖の湖口は東側にもうひとつある。「第2湖口」だ。
1978年に完成した新しいものだが、こちらは砂が堆積して船が通れなくなる事態が起きており、2012年には閉塞する事態も起きた。
北海道のニュース映像がYouTubeにアップされていた。
https://www.youtube.com/watch?v=OVv3S_wOxgU
湖口を塞いだ砂を取り除く作業が終わり、ほこらしげに漁船が通っている。
それを見つめる地元の人たち。
地図の上では2ミリぐらいのすきまだが、あの形にかける思いと維持する労力は大変なものだった。
なぞっているだけでペン先からパッションを感じる地形である。
参考:
ホタテ養殖のはじまり|佐呂間町の紹介|佐呂間町 https://www.town.saroma.hokkaido.jp/shoukai/hotate_youshoku.html
流氷被害を防ぐ「アイスブーム」と地域の歴史【コラムリレー第24回】 | 集まれ!北海道の学芸員 http://www.hk-curators.jp/archives/3999
サロマ湖はなぜ海とつながった? 砂州による閉塞と、住民による永久湖口の開削 | 月の方舟 http://noah.n43foto.com/archives/1403