1.使命感

「自分がなぜ存在しているのか」「何をするために生まれて来たのか」を知っているだけにとどまらない。あることを天命と考え、歴史の必然の中に、天命を持った自分を組み込むくらいの強い思い込みで、自分の存在意義を規定するのだ。漫画の『キングダム』なら、のちに始皇帝となる秦王の政が「私は史上初めて中華統一を成し遂げる」と宣言するようなものである(そして思い込みだけでなく、実現する)。

2.知識、見識、胆識

 知識は純粋なる知識であり、これに経験が加わるとより有効な見識になる。さらに実行力の裏付けが加わると胆識と呼ばれるものになる。大人物は、あらゆるものを知識レベルにとどめることはなく、見識、胆識のレベルに持ち上げるべく常に努力を続ける。知識にとどまり、それを振りかざすものは小人物として排斥されるべきだといわれることが多い。教養と称して固有名詞をいろいろ暗記している人が偉いわけではないのである。

3.長期的な視野と時流の見極め

 長期的視点から物事を考えることを重視し、短期的な損得にはこだわらない。あまり運気が良くないときには、騒がずじっとしており、次への準備に余念がない。タイミングを計り、良い流れが来たときには、一気呵成に事をなす。潮の満ち引き、時流を読む能力も必須だといわれている。明らかに環境が悪いときに無理に派手な事業活動をせず、いろいろ小さく事業の種をまいておき、トレンドが来たら、まいていた種に大きく投資をする、といったことだろうか。

4.得意淡然 失意泰然

 心の持ちようである。うまくいったからといっておごらず、また、うまくいかなかったからといって意気消沈しない。常に一定の精神状態を維持する。むしろ、失意の時にいかに過ごすかが重要視される。大人物には必ず不遇の時代があり、そこで力を蓄えるのがある種の定型になっている。左遷された先で、現場の信頼を得て地盤を固め、次の事業のヒントをつかむといったような話である。

5.包容力

 周囲に優秀な人材を配置する。人の良いところに注目し、思い切って任せる。悪いところはあっても気にしない。あまり細かいことを言わず、ケチケチしない。そして、補佐役には自分の問題点や課題を指摘させて、それを最大限重用する。使えないなどと一蹴せず、今いる部下の良いところを引き出しながら大事にすれば、自然に優秀な人物が寄ってくる。

 いろいろな古典が将の将たる器について語るが、だいたい上記のようなことが書かれている。そして、昭和の会社では、人物評価を行う際に、こうした基準が使われていた。「あいつにその大きな仕事を任せてはダメだ。馬謖(ばしょく)みたいなやつだから、必ず功を焦って失敗する」「あの人には太宗のごとく、箴言を大事にする器の大きいところがある」。誰もが中国古典の主要な人物の逸話をある程度知っていると、それが、人物を見る基盤としての共通の物差しになり、求める人物像の設定が大変やりやすかったのだ。

 しかし今、そうした人物査定は不可能になってしまった。中国古典の人物をもとに人材のあり方を語るという習慣はいつのまにか消えた。たとえば、“韓信の股くぐり”と言っても、ビジネスの場で通じることは極めてまれだ。なぜ、そうなったのか。

技術革新、成果主義……
米国型リーダーが大人物の養成を阻む

 いくつかの理由が考えられるが、第一に、ビジネス遂行において、人物査定以上に、技術的なことをより多く考えなくてはならなくなったことである。