「田舎で生まれたから」「裕福じゃない家庭で育ったから」──そんな理由をあげて人生がうまくいかないことの言い訳に使っていないだろうか? このたび刊行された著書『マンガ版 ゼロ』のなかで、ホリエモンこと堀江貴文は「『変えられないもの』を持ち出して自分の人生に言い訳をしてはいけない」と語る。今の自分を変えたいと願うすべての人のバイブル『マンガ版 ゼロ』の内容を紹介する連載の第4回!(連載の過去記事はこちらから)
自分の人生を切り開くのは
他の誰でもない「自分自身」
1972年10月29日、僕は福岡県八女市で生まれた。
八女は古代にはかなり栄えた土地だ。数多くの古墳があり、古代史で有名な「磐井の乱」の舞台にもなった。しかし、いまでは八女茶などの農産物で知られるのどかな農業地帯、つまり典型的な日本の田舎である。
家族は両親と父方の祖母、そしてひとりっ子の僕を合わせて4人。
父は、地元の高校を卒業し、地元企業に就職してずっと同じ会社で働いた平凡なサラリーマンだった。口癖は「せからしか!」。理屈っぽい僕が反論したりすると、この決まり文句とともに平手打ちが飛んでくる。
でも、けっして怖いばかりではなく、小学生の僕を海水浴や遊園地に連れて行ってくれることもあった。体罰は当たり前の時代でもあったし、ごくありふれた昭和の父親だったといえるだろう。
一方、母は厳しくて気性の激しい人だ。人の意見を聞かず、なんでも独断で物事を進めてしまう。そのうえ、一度怒らせると手がつけられなくなる。もちろん単に頑固なのではなく僕のことを考えてくれていたのだろう。けれどあまりにも愛情表現が不器用なのだ。結果的に「激しい」以外の言葉が見つからなくなってしまう。
母は、けっして裕福とは言えない堀江家の家計を支えるためか、僕が小さな頃から外に働きに出ていた。専業主婦の家庭が一般的だった当時の田舎にあって、共働き夫婦は珍しかったと思う。勤め先はいろいろ変わったが、最終的には、地元で自動車学校などを経営する実業家の会社で経理的な仕事をしていた。
母にとって仕事が楽しかったかどうか、僕にはわからない。だが、父よりも働くことへの意欲や執着は強かったと思う。ひとり息子の授業参観より仕事を優先していたことからもそれは想像できる。
そんな両親のもとに育った僕には、一家団らんの記憶がほとんどない。もしかすると当時から夫婦仲がよくなかったのかもしれない。思えば海水浴や遊園地に行くのも父と二人きりだったし、夫婦の会話をちゃんと聞いたこともない気がする。
……と、こうして思い出せる限りのことを書いてみても、僕はまったく平凡な環境の、平凡な家庭に生まれ育った、平凡な人間だ。ふるさとは日本のどこにでもある田舎町。実家は金持ちではなく、両親はともに高卒で高学歴というわけでもない。そのうえ、家庭の温もりさえ感じることなく育った。
若い人たちと話をしていると、「僕は地方の生まれだから」とか「うちは実家が裕福じゃないから」といった声をよく聞く。
でも、僕の幼少期を知ってもらえばわかるだろう。親や育った環境が人生に与える影響なんて、自分がそれをどうとらえるか次第なのだ。
生まれや育ちなど、「変えられないもの」を持ち出して、自分の人生に言い訳をしてはいけない。自分の人生を切り開くのは、他の誰でもないあなたなのだ。
(次回に続く。※この記事は、『マンガ版 ゼロ』からの抜粋です。)
1972年福岡県八女市生まれ。実業家。(株)ライブドア元代表取締役CEO。SNS media&consulting(株)ファウンダー。東京大学在学中の96年にオン・ザ・エッヂ(後のライブドア)を起業。2000年、東証マザーズ上場。04年以降、近鉄バファローズやニッポン放送の買収、衆議院総選挙への立候補などで既得権益と戦う姿が若者から支持を集め時代の寵児に。しかし06年1月に証券取引法違反容疑で逮捕され法廷闘争の末に実刑判決を受ける。11年6月に収監され長野刑務所にて服役。本書の原作『ゼロ』刊行直後の13年11月に刑期を終了し、ふたたび「ゼロ」からの新たなスタートを切った。現在は宇宙ロケット開発、アプリ開発、オンラインサロン運営などで幅広く活躍。