【お寺の掲示板87】答えを出さないままに耐える力萬福寺(福岡) 投稿者:@hiro5936 [2021年6月24日]

“白黒つける”は0か1しかないデジタル社会の陥穽(かんせい)なのかもしれません。本当のことを見極めるには、「すぐに答えを出すことを耐える能力」が欠かせないというお話です。(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)

「本当のもの」とは仏さまの智慧

 これは真宗大谷派の僧侶である安田理深師のことばです。安田師といえば、以前、「人生が行き詰るのではない 自分の思いが行き詰るのである」をご紹介したことがあります。

 安田師にとって、この掲示板にある「本当のもの」とは、仏さまの智慧のことを意味します。仏さまの智慧(仏教の教え)を通して判断するのではなく、自分自身の知恵を過度に信用して判断するから、「本当でないものを本当にしてしまう」ことになると伝えたかったようです。

 インターネットで結ばれたサイバー空間には、たいへん多くの情報があふれています。その中にはフェイクニュースなど「本当でないもの」が数多く紛れ、私たちは日々それらに振り回されています。自分の目に触れているニュースが本当なのか、本当でないのか。実際にはそのことがよく分からないのに“事実”として信じ、誰かを批判している人が実に多いように思います。

 情報化社会の中に身を置く私たちにとって最も大切なことは、「自分にはそもそも本当のものを見分けることができない」という謙虚さを持ち合わせることかもしれません。イギリスのロマン主義の詩人ジョン・キーツが残した言葉の中に「ネガティブ・ケイパビリティ」というものがあります。これは、「答えの出ない状況に対して、答えを出さないままに耐える力」を指す言葉です。

 すぐに白黒をはっきりつけたくなる気持ちは理解できますが、世の中の多くの物事はそんなに単純ではありません。完全な悪も完全な善もこの世界には存在しないのです。インターネット上で炎上し、荒れている様子を目にすると、自分が知り得た情報の正確さ、己の判断能力を総合的に考えて、「白か黒かの答えを出すことをじっと耐えて保留する能力」が強く求められているのではないかと感じます。

 以前、私がドイツのお寺で活動をしていたとき、欧州で長年仏教を研究しているドイツ人に出会い、お食事する機会がありました。「日本人の良さは何か?」がそのとき話題になり、彼は「すぐに答えを出さず、答えを出すのを保留できる能力」とまず口にしたことをいまでも覚えています。そのような態度が「曖昧な日本人」としてしばしば非難されることもあります。しかし、仏教を学ぶ西洋人からすれば、むしろそれこそが日本人の最も優れたところだと感じられたというのです。

「すぐに答えを出すことを耐える能力」とは、「自分の知恵を過度に信用しない謙虚さ」と強くつながっている面があります。「自分の知恵が絶対的に正しいのだろうか?」と疑うことができる能力(謙虚さ)は、安田師の言う「仏教の智慧」を身に付けることで可能となります。日本人はその能力を長い歴史の中で培ってきました。

「早く白黒を判断できる人」=「能力の高い人」という価値観が日本社会に急速に広まり、答えを保留する能力(ネガティブ・ケイパビリティ)が日本人の中から急速に失われてきているように思えてなりません。そんな時代だからこそ、仏教を通して己の限界を知り、謙虚さを身に付けることが、「本当でないこと」を見極めるためにも重要なのかもしれません。