「妬み」「温度差」「不満」「権力」「信用(不信感)」。企業であれ、スポーツチームであれ、リーダーであればドロドロした人間関係を避けては通れない。組織を支配するこれらの要素に着目し、心理学から脳科学、集団力学まで、世界最先端の研究を基に「リーダーシップと職場の人間関係」を科学的な視点でひもといた画期的な1冊が『武器としての組織心理学』だ。本稿では、特別に本書から一部を抜粋・編集して紹介する。
人間は放っておけば、どうしようもなく非合理的な行動をとってしまうもので、非合理的な行動は感情によってもたらされると考えられています。
非合理な行動1:将来の利益より、目の前の誘惑
自分の理想とする姿に向かうまでの道のりは、誘惑と葛藤の連続です。
例えば、ダイエットを決意したはずなのに、目の前のビールやスイーツを優先してしまう。忙しくなるとわかっているのに、締め切り間際まで仕事や勉強を放置して、YouTubeを見てしまう。
このような先延ばしの思考や現象は、行動経済学では「双曲割引」と呼ばれます。将来の利益より、目先の誘惑の方が魅力的に見えてしまうのです。
目の前の選択肢の方が「いいな」「好きだな」「楽しそうだな」というように、快楽に向かわせようとする感情がいきいきと動き出しています。
これにはわけがあり、私たちは、窮屈でストレスフルに感じられるネガティブな状態を経験しても、ポジティブな感情が共存してくれているおかげで、心と身体の健康を保つことができています。
例えば、ネガティブな感情を伴って、血圧などの自律神経系のバランスが崩れても、ポジティブな感情がフォローして元に戻してくれます。
このように、私たちの非合理的な行動には、心身の健康を保とうする「感情」の存在があるのです。
非合理な行動2:所有しているものを手放せない
私たちは、「置かれている環境」「所有しているもの」を手放すことに強い抵抗を示すことがあります。
所有しているものに愛着を感じるときや、新しく得るものへの期待よりも今の自分を失う恐怖の方が、あなたの気持ちを占領してしまうとき、「しがみつきの現象」が起こります。
しがみつきの行動は、心理学で「保有効果」と呼ばれています。
この効果に関する実験で有名なのが、「カーネマンのマグカップの実験」です。[1]
行動経済学者のダニエル・カーネマンは、大学生たちをランダムに2つのグループに割り当てました。
2つのグループは、「売り手グループ」と「買い手グループ」です。
「売り手グループ」の目の前には、1人につき1個、大学のロゴ入りマグカップが置かれ、「いくらならマグカップを売るか」と希望の取引価格を問われます。
「買い手グループ」は、隣にいる人のマグカップを見て、「いくらなら(自腹を切って)マグカップを買うか」と聞かれます。
ちなみに、この大学のロゴ入りマグカップ、通常は6ドルで販売されているものです。
実験の結果、「買い手グループ」が答えた平均価格は2.87ドルだったのに対して、「売り手グループ」が答えた平均価格は7.12ドルでした。
つまり、売り手は、買い手の2倍以上の価値をつけたのです。
売り手と買い手の違いは、「既に自分が所有しているものか否か」「手放したくないという感情があるかどうか」だと考えられます。
これらのことから、私たちには、一度手にした喜び、それによって見出した価値あるものを失いたくない、あるいは後悔したくないと思ってしまう傾向があるのだと、カーネマンたちは言います。
転職に踏み切れないのも「保有効果」のせい?
例えば、転職しようと考えているのに、なかなか最初の一歩を踏み出せずにいるというのも、このしがみつきの現象の一つと考えられます。
目の前の状況は、千載一遇のチャンスかもしれないけれど、不安や面倒さが先に立つ。しかも、そのチャンスに飛びついたがゆえに、よくなるどころか自分や自分の立場を揺るがすような状況に直面するかもしれない。
自分の心を乱す、脅威的な相手に出会いやすくなるかもしれない。そうなったら、今までの自分や面子はどうなるんだろうか……。
そのうちに、「今はそうは悪くない、結構イケてるではないか」と思えてくる。つまり“保有”は、現状を維持して安心を得ようとすることが優先された非合理的な行動選択です。
私たちの非合理的な判断・行動の背後には、「自分が危険な状態や脅威にさらされたときに生じる感情」があるのです。
脚注[1]Kahneman, D.(2011). Thinking, Fast and Slow. London: Penguin Books. 村井章子訳『ファスト&スロー』〔下〕, ハヤカワNF文庫,2014年.
(本稿は、『武器としての組織心理学』から抜粋・編集したものです。)