定年という制度は
「年齢による差別」に他ならない

 一方、もともとビジネスパーソンには大きな個人差があるのだが、加齢によって心身のコンディションが変化することによって、高齢な社員間の個人差はもっと広がるだろう。彼らに対して、一律に年齢によって雇うか、雇わないかを決めるのは、そもそも無理があるし、同時に企業にとって大きな無駄を伴う。

 また、改めて考えてみるに、「定年」という制度は「年齢による差別」に他ならない。能力主義は必ずしも万能の経済倫理ではないが、40歳のAさんよりも、明らかに仕事ができる70歳のBさんがいるとしよう。その場合、年齢だけを理由にAさんは雇われ続けて、Bさんが雇用されないのは、仕事の能力に対して不公平であるし、企業にとっても損失だ。

 もっとも、「企業にとって損失」があっても、「定年」という制度がこれまで続いている理由は、個々の社員に「辞めてもらうこと」には莫大なエネルギーを要するからだろう。加えて、もちろん、正社員の解雇に対して制約が大きい日本の法制度の問題がある。

 正社員の解雇に関しては、金銭的な補償を伴う正社員の解雇ルールの設定が必要だと思われる。企業の側が人事面で経営上のフリーハンドをより大きく持てるように、同時に社員の側にとっても解雇の不利益が一定程度確実に補填されるようにだ。

 ただし、「正社員解雇の金銭解決ルール」はぜひ必要だと思うが、その道理を多くの人に納得してもらうためには、語り手によほどの明晰さと人徳が必要だろう。今のわが国に、適任者はいるのだろうか。

 この問題を大事な宿題とするとしても、そろそろ日本の企業と社員は、「年齢」という大ざっぱなくくりによってではなく、個別にお互いを評価し合って一人一人が働く条件を決める、「より丁寧な人事」を徹底すべきだ。

「国際派の経営者」としても名高い新浪氏は、「45歳定年」ではなく、むしろ「年齢差別である定年制度の全面廃止」を提言したらよかったのではないか。もちろん、年齢によらない個々人別々の人事と、解雇の金銭解決ルールがセットだ。より根本的な提案だと思うが、いかがだろうか。

「こちらの方がグローバル・スタンダードではないかなあ、新浪さん?」