発達障害のひとつであるADHD(注意欠陥・多動症)の当事者である借金玉さん。早稲田大学卒業後、大手金融機関に勤務するものの仕事がまったくできずに退職。その後、“一発逆転”を狙って起業するも失敗して多額の借金を抱え、1ヵ月家から出られない「うつの底」に沈んだ経験をもっています。
10万部を突破した『発達障害サバイバルガイド──「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47』では、借金玉さんが幾多の失敗から手に入れた「食っていくための生活術」が紹介されています。
今回、本書を元にした東京都・国立市公民館図書室のつどい「発達障害サバイバル」の講演が行われました。第一弾に続いてその内容の一部を、加筆・修正してお伝えします。

発達障害の僕が発見した「雑談で破滅してしまう人」に欠けているたった一つのこと

「雑談ができない」=「共同体の価値観を掴めない」

 発達障害傾向のある人には「雑談ができない人」がとても多いです。

 雑談が苦手といっても、実は「話すのが全部ダメ」というわけではありません。講演やスピーチはできるのに(むしろ得意なことも)、雑談はできないという人も少なくない。なぜなら雑談と講演・スピーチは、似て非なるものだからです。言い換えると、講演は「みんなが自分の話を聞いてくれる」関係性がはっきりした場であるのに対し、雑談はそうではないから。たまたま講演がウケて、みんながほめてくれてうれしい。それで「俺って話すのがうまいんだ」と勘違いして、4~5人の雑談の場で独演会をかましている人、あなたのそばにもいませんか? まぁ僕がその典型なんですけど……。

 では、雑談とは何か。どうすればできるようになるのか。カギは、家庭や学校、職場……皆さんが普段の生活で所属している集団の「共同体の価値観」にあります。

 先日、女子高出身の知人と話していたら、「女子高においては、かわいいとかモテるとかより、面白い人こそが至高の存在だ」という話になりました。おそらく共学あるいは男子校出身者からは、違う意見が聞かれるでしょう。これが共同体の価値観の違いです。そして、価値観の異なる共同体では、雑談で何がウケるかもまた、大きく違うのです。

「共同体の価値観に規定される会話」。これが雑談の正体です。そして、雑談に際し「その共同体で何がウケているのか」を読み取るのが、僕たちはとっても苦手。意識/無意識にかかわらず、何気ない雑談が実にハイレベルなソーシャルスキルの表れであるかということもお分かりいただけるかと思います。

雑談のテクニック1:現象が発生しているなあ視点

 それでは、どうすれば共同体の価値観がつかめ、雑談がこなせるようになるのでしょうか。

 共同体の価値観というのは、実に様々です。世界には「カラダに開いている穴が一番大きい奴がイケている」なんて部族もあるくらいですから。僕の地元でもピアスの穴はデカい奴がイケてましたし。それでですね、目の前にある共同体の価値観を知るには、これはもう「観察する」以外にありません。その時の視点を、僕は「現象が発生しているなあ視点」とよんでいます。

 知らない共同体の様子を観察しようとすると、実にさまざまな情報が飛んできます。その都度理解し、序列をつけるのは大変ですし、ぶっちゃけ疲れます。だから、まずは「ああ現象が発生しているなあ」と一度抽象化して判断を保留することでダメージを最小限にとどめます。人類学者がやるように、いい悪いを判断するのではなく、いったん受け入れることが大事です。そうして自分の中で情報をストックしていくことで、やがてその共同体での支配的な価値観が輪郭を帯びて見えてきます。

雑談のテクニック2:リズム

 次に大事なのは「リズム」です。雑談って、流れがありますよね。その流れに乗れず、気まずい思いをしたり、自分の足先を見つめ続けたりした人もいるのではないでしょうか。

 実は、世の中で社会性と言われるものの大半に、リズムが関係しています。「おはようございます」と言われたら「おはようございます」と返す。その時、過剰に何かをつけ足して話したらどこか変ですよね。その違和感はリズムのずれから生じるものだと思います。

 早口なのか、ゆっくりなのか、一人がどれくらいの分量を話しているのか。これはもう、その場その場の文化で全く違います。まさしく異文化です。「情報をとにかく最速かつ最高精度で交換しろ」って文化もありますし、「しっかり間を取らない会話は下品だ」と怒る人たちもいます。まさしく、文化が違えばリズムが違うのです。

 その場のリズムをつかむことができたら、雑談の流れにスムーズに乗れるようになります。少なくとも僕はそうでした。言葉とリズムの関係を掴むには、YouTubeで日本語ラッパーの映像を見たりするのもいいかも。カッコいい言葉、社会性のある言葉、あるいはその反対に好ましくないとされる言葉がリズムの中で躍動する様子は、とても勉強になります。もちろん、雑談のつもりがいつの間にか自分ひとりのフリースタイルラップに、なんてことにならないよう気を付けなくてはいけませんが(笑)。

 仕事の会議や友人関係…社会は雑談で回っているといっても過言ではありません。そうでなくても雑談は「できた方が楽しいし便利」なものであり、それが「できない」と自分で認めるのは、なかなか辛いものです。しかし、「できる」は「できない」の延長にあるもので、反対語ではありません。できない自分を認められれば、レベル1はクリアしたようなもの。あとは、どういうときにできないのか言語化しながら、少しずつ「できる」に近づいていきましょう。やっていきましょう。