唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。
外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント8万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊。たちまち5万部突破のベストセラーとなり、「朝日新聞 2021/10/4」『折々のことば』欄(鷲田清一氏)でも紹介されるなど、話題を呼んでいる。
坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。
どのくらいの水と栄養を摂るべきか
あなたは昨日、何キロカロリーのエネルギーと、何リットルの水分を摂取しただろうか?
この質問に正確に答えられる人はほとんどいないだろう。私たち人間は、絶えず栄養と水分を摂らなければ生きていけないにもかかわらず、その必要量を知らない。何らかの計算式によって飲み食いする量を決めているわけではないのだ。
「今日は水分があと二〇〇ミリリットル、エネルギーがあと三〇〇キロカロリー足りないから、牛乳を一杯、パンを一つ摂取してから寝よう」などと考える日はないはずである。健康な人であれば、のどが渇いたときに水を飲み、食欲があるときに食事を摂るだけで事足りるのだ。
だが、体の求めに応じて飲み食いするだけで必要量の栄養と水分が満たされる、というしくみは、一見当たり前のようで、実は極めて貴重だ。
病気で口から飲食できなくなる人は大勢いる。意識がない人、気管にチューブを入れて人工呼吸器に繋がれている人、食道や胃、大腸などの消化管に病気がある人など、さまざまである。
こうした人たちが生きていくためには、何らかの形で水と栄養を体に注入される必要がある。そうしなければ、脱水や栄養障害で命を失うからだ。
そこで医療現場では、まさに先ほど書いたようなカロリーと水分量の計算が日々行われている。特に本人の意識がないときは、「どのくらいの水と栄養を摂るべきか」を本人以外の誰かが計算し、それに基づいて投与されなければならない。体格や臓器の機能、病状を勘案し、尿量などを測定しつつ、適切な分量の水分と栄養分を算出するのだ。
では、この水と栄養を、どのように体に注入すればいいだろうか?
その方法は、大きく二つに分けられる。直接血管内に栄養剤(輸液製剤)を注入する方法と、胃や十二指腸などの消化管に栄養剤を注入する方法だ。
血管内に栄養剤を注入する方法は、いわゆる「点滴」である。だが、腕から行う普通の点滴では、一日に必要な量の栄養分をすべて投与できない。一定の濃度を超える液体を手足の末梢血管から投与すると、静脈が傷つき、炎症を起こしてしまうからである。
そこでよく行われるのが、「中心静脈栄養」と呼ばれる手法だ。首や鎖骨の下、上腕(肘より上)などからカテーテル(医療用の細い管)を挿入し、その先端を心臓付近の太い静脈に置くのである。これを使えば、高カロリーの製剤を投与できる。健康な人が食生活を行うのと同じ量の水分と栄養分を、すべて点滴によって投与できるのだ。
一方、この方法の欠点は、腸を使わないために腸の粘膜が萎縮してしまい、その機能が落ちることである。人体というのは、簡単に「サボり癖」がついてしまうものなのだ。
そこで、医療の現場では「腸が使えるときは腸を使え(If the gut works, use it)」という格言がある。可能な限り消化管に栄養剤を注入せよ、ということだ。
鼻から長いカテーテルを入れて先端を胃に置く方法や、胃ろうをつくって直接胃に栄養剤を注入する方法を、経管栄養(経腸栄養)という。これらは、血管に栄養剤を点滴する方法に比べると、体にとっては「口から飲食していること」に近い。「食べものを咀嚼し嚥下する」というプロセスをショートカットしているだけだからだ。
もちろん、「腸が使えないとき」にはこの手段は避けなければならない。例えば、消化管の病気や、嘔吐や下痢がひどい場合などは、中心静脈栄養を選ぶのが一般的である。
いずれにしても、人類は今や、口から一切飲み食いすることなく長い期間生きられるようになった。病気が治り、再び食べられるようになるその日まで、命をつなぐことができるようになったのだ。驚くべき医学の進歩である。
「摂取不足」によって起こる病気
「必要な水分と栄養分を注入すれば飲み食いしなくても生きられる」とは書いたが、実はそれほど簡単な話ではない。例えば、一日あたり一五〇〇キロカロリー必要な人がいたとしよう。
この人は、毎日一五〇〇キロカロリー分の白米だけを食べて健康を維持できるだろうか?
「そんな食生活は耐えられない」という好みの問題は別として、何となく「体の具合が悪くなりそうだ」ということは想像されるだろう。食べるものが偏れば、きっと何らかの栄養素が足りなくなる。そういう漠然とした発想が私たちの頭にはあるからだ。
だが、これが「常識」となったのは二十世紀以降である。食べものに微量に含まれる栄養素で、それが不足すると体に不具合を引き起こす。そのような物質は数多くあるが、中でも重要なのがビタミンである。
(※本原稿は『すばらしい人体』からの抜粋です)