マスコミ批判にあまり意味を感じられない理由

宇佐美典也(うさみ・のりや)
1981年、東京都生まれ。暁星高等学校、東京大学経済学部を経て、経済産業省に入省。企業立地促進政策、農商工連携政策、技術関連法制の見直しを担当したのち、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)にて電機・IT分野の国家プロジェクトの立案およびマネジメントを担当。2012年2月に開設した「三十路の官僚のブログ」(現在は「うさみのりやのブログZ~三十路の元官僚のブログZ~」に改称)では、自身の給与や官僚生活を赤裸々に公開して大きな話題を呼んでいる。

宇佐美 私はあまりマスコミ批判をする気はありません。マスコミに関しては良くも悪くも諦めている部分があります。色々と問題があるとは思うんですが、彼らは単に法律が許す範囲内で新聞を売って、視聴率を上げるのに必死なだけだと思うんです。不況ですし。だから、変に期待して、「報道機関というのはこうあるべきだ」なんて正論を打ったところで意味がないと思うんです。

 実際、同年代の新聞記者やテレビ報道の関係者の方と意見交換をすると、問題意識を持ちつつも、「結局、安易だと言われようが、わかりやすく官僚や政治家を叩いた方が視聴率も稼げるし、新聞も売れるんだ。だから仕方ないんだ」って結論にしかならないんです。

 よく考えれば、ビジネスなんですから、読者や視聴者が楽しめるように面白おかしく脚色するのは仕方ないと言えば仕方ないですよね。それで世の中がおかしくなろうが、そっちのほうが儲かりますので。ただ、読者や視聴者がそういった偏りがあるマスコミの情報を真に受けないように、問題があれば色々な人が発信して、指摘することが大事なんじゃないかなと思っています。

竹内 マスコミの記事に関しては、批判にしても賛成にしても、もう少し事実を確認してほしいというのはあります。エレクトロニクス業界のように技術的な話だと、バイアスがない方であっても取材する側の誤解が多いんです。

宇佐美 全国紙や総合紙の場合、あるトピックに関する記事を書くときに、記者自らが専門的知識を持って理解しているわけではないんですよね。代わりに記者の方々は、そのトピックについて発信力のある有識者のコメントを引用して根拠としがちです。そうすると、批判されても「あの人が言ったんだから、おれは悪くない」と言えますし。世の中にはいい加減な“自称”有識者が多く、結果的にいい加減な記事がはびこってしまうわけです。

 そういう意味では、マスコミには構造的な問題があるとは感じていました。発信力があるけどおかしなことを言っている人はたくさんいますから。ただ、記者の側もあらかじめ用意したストーリーに上手く乗るように、有識者のコメントを都合良く引用しているところもありますよね。

竹内 コメントを引用される側としては、都合良く自分のコメントが編集されてしまう怖さを感じます。昔、電話で、記者さんからある学会について、「日本のバイオに関する今年の論文は少ないですか?」と聞かれたので、私は「少ないですね」と答えました。すると翌日の新聞で、「日本のバイオの研究は世界で取り残されている」という趣旨の記事に、私のコメントが名前つきで引用されていたんです。

 私は、ある学会の今年の論文の数が少ないかと聞かれたので、「少ない」と答えただけで、そこまで言ったわけではなかったんですけどね。たまたま、その年だけ日本からの論文が少なかったかもしれないわけだし。