唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。
外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント8万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊。たちまち5万部突破のベストセラーとなり、「朝日新聞 2021/10/4」『折々のことば』欄(鷲田清一氏)、NHK「ひるまえほっと」『中江有里のブックレビュー』(2021/10/11放送)、TBS「THE TIME,」『BOOKランキングコーナー』(第1位)(2021/10/12放送)でも紹介されるなど、話題を呼んでいる。
坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。
立ち上がることができますか?
あなたは今、この原稿を椅子に座って読んでいるだろうか?
もしそうであれば、まず正面を向き、頭の位置を前後に動かさずに立ち上がろうとしてみてほしい。きっと、全く立ち上がれないことに驚くはずだ。どれだけ足に力を入れようと、腰は少しも浮き上がらないはずである。
では次に、何も考えずに立ち上がってみてほしい。おそらく、最初に頭を思い切り前に突き出して、その後ようやく腰を浮かせるはずである。椅子から立ち上がるためには、まず「前屈する」という動作が必要なのだ。
なぜだろうか?
その理由は単純で、重い臀部を持ち上げるためには、頭の重さでバランスを取る必要があるからだ。頭を前に突き出し、重心を前方に移動させることで、重い臀部を持ち上げるのである。まさに、「重い腰を上げる」ためには頭を使う必要があるのだ。
では、もう一つ実験をしてみよう。
今度は立った状態で足を肩幅に広げ、頭を左右に動かさずに右足を上げてみてほしい。おそらく、どれだけ足に力を入れても右足は地面から浮き上がらないはずだ。
では、どうすれば右足を上げることができるだろうか? やってみればすぐにわかる。右足を上げる前に、上半身を左側に傾ける必要があるのだ。先ほどと同様に、重い足を上げるには、まず重心を反対側に移動することから始めなければならないのである。
私たちの体を構成する「部品」は、それぞれがかなりの重量を持っている。体重が五〇キログラムの人であれば、頭は五キログラムほどもある。足は一本あたり約一〇キログラム、腕も一本四~五キログラムほどあり、意外なほどにずっしり重い。
私たちは日頃、自分の「部品」の重さを自覚することがほとんどない。これほど重いものを毎日「持ち運んでいる」にもかかわらず、意外にもそのことに気づかないのだ。
頭や手足は、肩や背中、臀部の大きな筋肉で支えているため、重さを感じにくい。これは、子どもを抱っこするより肩車をするほうが楽に感じたり、重い鞄を手で持つよりリュックサックを肩に背負うほうが軽く感じたりするのと同じ理屈である。
また、生まれてから今に至るまで、必要な筋肉が必要なだけ鍛えられている。体は、自らの「部品」を持ち運ぶのにもっとも好都合に発達するからだ。
一方、私が初めて医療現場に出たときもっとも驚いたのは、まさに「人体がいかに重いか」という事実である。医療現場では、歩けない人をベッドから車椅子に移動するのを介助したり、意識のない人をベッドからベッドに移動したりすることは、日常的な仕事だからだ。
宇宙飛行士と筋肉
例えば、手術の際に、全身麻酔がかかった人の手足を持ち上げたり、仰向けからうつ伏せに変えたり、手術後に体を手術台から病棟用のベッドに移動したりする作業は毎日行われる。
このように体を移動させる作業は、それなりの重労働だ。決して一人ではできず、四、五人のスタッフが一緒に力を合わせて行う。自分の体は一人で運べるのに、他人の体は一人では到底運べないのだ。
特に全身麻酔中に体を移動させるときは、手と足に注意が必要である。手足はずっしり重いにもかかわらず、胴体とは小さな面積でしか繋がっていない。
四本それぞれを誰かがしっかり支えていないと、重みのままに勢いよく垂れ下がり、あっという間に関節を損傷してしまうからだ。お互いが声を掛け合い、息を合わせて慎重に動かすのである。
体の重さが問題になるのは、手術のときだけではない。
入院が長引き、ベッド上の生活が長くなった人が、久しぶりに起き上がろうとすると全く立てなくなっている、ということはよく起こる。特に、もともと筋肉が弱った高齢者に起こりやすい現象だ。
胸やお腹の病気で手術を受けたり、心筋梗塞や肺炎にかかったりなど、足腰とは全く関連のない病気にかかったとしても、歩く力は自然に失われていく。体を毎日「持ち運ぶ」作業を怠れば、見る見るうちに筋肉は弱ってしまうからだ。
程度の差こそあれ、無重力の空間から地球に帰還した宇宙飛行士が、支えなしには歩けなくなっているのと状況は似ている。宇宙飛行士の油井亀美也氏が、帰還直後の生活について、「私はスーツを脱ごうとして、頭を前に傾けた時に、首と背筋で頭の重さを支えるのを忘れ、前のめりに頭を地面にたたきつけそうになりました」と語っていたのが印象的だ(1)。
したがって、宇宙空間で宇宙飛行士が筋力トレーニングを怠らないのと同じように、入院中はリハビリが重要になる。可能な限り意識的に歩いたり、手足を動かしたりする必要があるのだ。病院では、多くの人が毎日病棟の廊下をゆっくり歩いている。生活力を維持するために、必須の運動なのである。
【参考文献】
(1)論座「地球帰還した宇宙飛行士が歩けないわけ」
(https://webronza.asahi.com/science/articles/2016111500010.html)
(※本原稿は『すばらしい人体』からの抜粋です)