伝え方を変えれば絶対に売れるはず
その頃はまだ、海外事業専属のスタッフはいませんでした。みんな兼務で、どちらかというと社長に「無理やりやらされている」という感じでした。
「これでは勝負に勝てない」と思いました。西陣の職人が、確かな技術で質の高い織物をつくっていることはわかっていました。だからこそ、「伝え方を変えれば絶対に売れるはずだ」という確信がありました。
予算もない中でしたが、自分の昔のツテをあたって、英語のロゴや会社のホームページをつくったり、まずは海外の人に細尾を認知してもらうための最低限の準備を整え、私はクッションをトランクに入れてハンドキャリーで運びながら、各地の大規模な展示会を転々としていました。
ミラノの「ミラノサローネ国際家具見本市」、パリの「メゾン・エ・オブジェ」、フランクフルトの「アンビエンテ」、ニューヨークの「ICFF」。とにかく世界の大規模見本市に、出展できるだけしていきました。
西陣織の同業者には、海外進出の前例はありませんでした。
最初は海外にどうやって物を発送したらいいのかもわからず、「関税って何?」という状態でした。
でも出展を続けていくと、いろいろなバイヤーから「こういう資料を用意したほうがいいよ」とか、「値段をこうしたほうがいいんじゃないの?」といったアドバイスがもらえました。そういったこともあり、毎回少しずつやり方をアップデートしていったのです。
どうしてもこの事業がしたくて会社に入っていたこともあり、ビジネスとして成立させるために、私はあらゆる手を尽くしました。
しかし、それだけの情熱を注いでいるにもかかわらず、代わり映えのしない状況が続きました。多少オーダーは入るけれども、ビジネスとして採算が取れるところまでは行かない。
「これはマズい」―。厳しい状況が続きました。