田中:「たしかなことは何ひとつ伝えられない」と言っても過言じゃないと思いますよ。いま、目の前にあるこのボイスレコーダーやペットボトルの形状すら、言葉で伝えられません。共有しようと思ったら、いっしょに見るしかない。いっしょに見たって、全く同じ風景が目に映っているわけでもないんです。

わたしの本の言葉が少ないのは「100万言を費やしてもしょうがない」という思いが強いからです。コピーライターとして職業的な訓練を受け、長い間仕事をしてきたこととも関連していると思います。

──どういうことですか?

田中:「コピー」というものは、書ける範囲、使える文字数が極端に限られています。だから、受け手の想像力に頼るしかないわけです。

──なるほど。

田中:文字数が少ないのは「受け手を信頼する」ということでもあります。だって、信頼できなければ、たった15文字程度の言葉で、企業の命運を賭けたような大切な商品のコピーなんて書けないですよ。わたしも電通時代、ぎっしり文字を詰めたコピーを書いていたら、ある上司に「おまえさ、消費者を信頼してないだろ」と言われました。そんなに説明しまくる必要なんてなかったんです。言葉のない広告だってあるくらいですから。

「いっぱいしゃべる」とか「いっぱい書く」というのは、相手を信頼していないということなんです。

──「言葉を尽くして説明する」のが誠意や礼儀だ、という風潮もあると思うのですが。

田中:違うんです。長すぎる依頼メールとか、こっちの話もろくに聞かず延々自分の事情を話しまくる人とか、何百ページあるような分厚い取扱説明書とか、どう考えても苦痛でしょう。相手を信頼することから遠い態度でしょう。

前著『読みたいことを、書けばいい。』に「後半がポエムになっている変なビジネス書だ」っていう感想がいくつも集まったんですけど、すごく嬉しかったですよ。2冊目の『会って、話すこと。』に関しても、今野さんとの合言葉は「やっぱり最後はポエム」でした。

言葉では追いつかないところは、言ったってしょうがないんです。でも、「感じてもらうこと」はできるんじゃないか。ならばそういうところは、短く、言葉を少なくするしかない。わざわざ本を買って読んでくれる人を信頼するしかないですよ。