「ペテン師」と非難された医師

 全身麻酔が広く普及するきっかけをつくったのは、アメリカの歯科医たちだった。青洲が初めて全身麻酔を行った、その約四十年も後のことだ。

 十八世紀後半から十九世紀にかけて、亜酸化窒素という気体がパーティーやショーなどで使われていた。この気体を吸うと酩酊したように笑いが止まらなくなるため、「笑気ガス」とも呼ばれていた。若者たちは夢見心地の状態になり、怪我をしてもその痛みに気づかなかった。

 この様子を見た歯科医のホレス・ウェルズは、ある妙案を思いつく。この気体があれば、痛みを伴わずに歯の治療ができるのではないかと考えたのだ。

 ウェルズはまず、自分自身でその効果を試した。笑気を自ら吸いこみ、意識を失っている間に友人のジョン・リグズによって親知らずを抜歯されたのだ。驚くべきことに、痛みは全くなかった。

 その後、実際に笑気を多くの患者に使い、その効果を確信したウェルズは、一八四五年一月に公開の場で実演を試みた。場所は、ボストンのマサチューセッツ総合病院。名門ハーバード・メディカルスクールの最たる関連病院である。

 だが、不運なことにウェルズの実演は失敗に終わった。聴衆が見守る中、手術中に患者は痛みを訴え、悶え苦しんだのだ。「ペテン師」「ごまかし」とウェルズに非難は集中した。真面目で努力家だったウェルズは再び実験を繰り返したが、信頼を回復することはできなかった。

 ウェルズの実験がなぜうまくいかなかったのか。笑気の量や純度の問題なのか、あるいは気候によるものなのか。それは今も謎である。

 一方、ウェルズの公開実験で助手を務めていたのが、同じ歯科医のウィリアム・モートンだった。ウェルズの失敗を見たモートンは、笑気ではなくエーテルを選んで実験を行った。エーテルの蒸気にも笑気に似た効果があり、「エーテル遊び」という集会が催され、やはり娯楽の道具として使われていたのだ。

 自分の患者にエーテルを使い、痛みのない手術が行えることを確認したモートンは、一八四六年、ウェルズと同じ場所で公開実演を試みた。ウェルズの失敗からわずか一年後のことだ。結果は大成功だった。患者は全く痛みを感じることなく、あごの腫瘍を切除されたのである。

 このことは大きく報道され、麻酔法が普及する第一歩になった。

 その後、エーテルには引火の危険性があることから、より安全なクロロホルムも吸入麻酔薬として用いられるようになった。むろんエーテルもクロロホルムも、過量に投与すると体に重篤な副作用を引き起こすことがある。

 そこで、気体の濃度を調整できる吸入器をつくり、麻酔の安全性を高めたのが、イギリスの医師ジョン・スノウである。スノウは、公衆衛生学の父としても知られる人物だ。

 現在は、さらなる麻酔薬の進歩により、安全性の高い複数の薬を組み合わせ、症例に応じて使い分けられるようになっている。

 麻酔に関連する事故は極めて少なくなり、麻酔科医の管理のもと、外科医は十時間、二十時間といった長い手術も行えるようになっているのだ。

論争と悲劇の結末

 モートンの実演が成功したすぐ後から、アメリカでは長きにわたり「誰が麻酔法の発明者か」について激しい論争が繰り広げられた。

 特に商業主義であったモートンは、麻酔法の発明を自分の功績として世に喧伝することに余念がなかった。無痛の抜歯について次々と新聞広告を出し、診療所を大いに繁盛させた。

 また、エーテル麻酔について特許を申請し、使用料でビジネスを展開しようとしたほか、議員にロビー活動を繰り返し、報奨金を得ようと奔走した。

 だが、そもそもエーテルは一般的に使用されていた化合物であり、その「発明」に対する独自性はなかなか認められなかった。その上、当初エーテルに関してモートンに助言を与えたハーバード大学の権威、チャールズ・ジャクソンも、自分こそが発明者であるとして譲らず、モートンと医学雑誌上で論争を繰り返した。

 さらには、モートンより四年も前に、ジョージア州の外科医クロフォード・ロングがすでにエーテルを用いて手術を行っていたことがわかった。他にも多くの人たちが「最初の発明者」として名乗りをあげ、論争は混迷を極めた。生涯をかけて自分の功績を世に残そうと活動を続けたモートンは、一八六八年、脳卒中で突然この世を去った。

 一方のウェルズも、自分こそが吸入麻酔法の生みの親であると主張し、論争に参戦していた。麻酔法の発明者として名誉を挽回するため、今度はクロロホルムを自らに使用し、必死の実験を繰り返していたのだ。

 だが、これがウェルズの心身を蝕んだ。

 一八四八年、ウェルズは街中で女性二人に硫酸をかけて怪我をさせ、逮捕された。クロロホルムを乱用していたウェルズは、重度の依存症に陥っていたのだ。彼の白昼の奇行は、錯乱状態で行われたものだった。正気に戻ったとき、彼はすでに拘置所の中であった。

 自身の犯した罪を前に激しく苦悩したウェルズは、翌日の夜クロロホルムを吸入し、剃刀で太ももの動脈を自ら切断した。翌朝、看守が独房を訪れたとき、彼はすでに息を引き取った後だった。

 ウェルズやモートンが公開麻酔を行った手術室は、現在マサチューセッツ総合病院の敷地内に「エーテルドーム」として残されている。

 アメリカ独立後一世紀にも満たない時期に生まれた、アメリカ史上、いや医学史上、もっとも重要な発明は、今なお悲劇的なエピソードとともに語り継がれているのだ。

【参考文献】
『エーテル・デイ 麻酔法発明の日』(ジュリー・M・フェンスター著、安原和見訳、文春文庫、二〇〇二)
『図説医学の歴史』(坂井建雄著、医学書院、二〇一九)
『医療の歴史 穿孔開頭術から幹細胞治療までの1万2千年史』(スティーブ・パーカー著、千葉喜久枝訳、創元社、二〇一六)

(※本原稿は『すばらしい人体』を抜粋・再編集したものです)