「ダメ人間の王様」に憧れて

 中島らものエッセイや小説には、ロックやサブカル、文学や狂気など、普通の人には「不謹慎だ」と眉をひそめられそうな要素が、そこら中に散りばめられていた。

 それでいて、決して攻撃的ではなく、一般社会から外れたものたちへの優しいまなざしがあると感じた。

 僕にとって中島らもは、ダメ人間の王様だった。

 らもさん本人もお酒ばかり飲んでいたりしてかなりダメそうな人だったし、本に出てくる彼の友人たちには、バンドマンや劇団員、フリーライターや無職など、いわゆる「普通の社会人」ではない大人がたくさんいた。

いい歳してもまっとうに生きていない、こんな人たちも社会の中にはいるんだ」と僕は衝撃を受けた。

 そして希望を持った。

 こんな感じなら、僕も生きていけるかもしれない。

 彼や彼の仲間みたいに普通のまっとうな社会から外れて、変なものやいびつなものに囲まれながら、堂々と、ひょうひょうと生きていきたい、と強く憧れたのだ。

人には「欠落したところ」がある

 中島らもはエッセイ、小説、人生相談、演劇など幅広いジャンルで膨大な著作を残している。

 僕は10代の頃にそのほとんどを読んだ。その中でも一番好きだったのが、デビュー作である小説『頭の中がカユいんだ』だ。この作品は酒と睡眠薬を大量に飲んで、その勢いで4~5日くらいで書きあげたものだそうだ。

 内容は、ほぼ私小説だ。

 まだ会社員である中島らもらしき主人公が、ふらふらと街をさまよい歩いて、酒を浴びるように飲んだり、クラブで知り合った女の子とホテルに行ったり、酔っぱらいとストリートファイトをしたりする、というだけの話だ。

 この小説にははっきりしたストーリーはない。だけど、至るところにまっとうな社会への反発や、酩酊や逸脱に対する愛情があふれていて、歪んでいるけどとても美しい世界が描かれている。僕はその世界に憧れたのだ。

『頭の中がカユいんだ』に出てくる次の文章は、彼の世界観を短くまとめて表していて、そして、僕の世界観にも大きく影響を与えた。

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 要するにみんなラリってる。ラリってる中で一番たちの悪いのは思想と宗教にラリっている奴だろう。
 ああいうのは僕はこわい。目がすわっている。睡眠薬のほうがまだずっとマシだ。自分がラリっているのがわかっているからだ。
 結局、人間はどっかにポッカリとばかでかい穴があいているのだ。何かで埋めなくてはいけない。埋められれば何でもいい。
『頭の中がカユいんだ』
より引用
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 次の文章は、彼自身がアルコール依存症になった体験をモデルにした小説『今夜、すべてのバーで』からの引用だ。

 ここでも同じことが語られている。

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「飲む人間は、どっちかが欠けてるんですよ。自分か、自分が向かい合ってる世界か。そのどちらかか両方かに大きく欠落してるものがあるんだ。それを埋めるパテを選びまちがったのがアル中なんですよ」
「そんなものは甘ったれた寝言だ」
「甘ったれてるのはわかってるんですが、だからあまり人に言うことじゃないとも思いますが、事実にはちがいないんです」
「欠けてない人間がこの世のどこにいる」
「それはそうです」
『今夜、すべてのバーで』
より引用
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 人間はみんなどこかが欠けている欠陥品だ

 世間がいう「正しさ」なんてあやふやなものに過ぎない。

 絶対に正しいものなんて存在しないこの世界の中で、人間は自分の中の欠落を埋めるために、正義や名誉、恋や酒など、自分を酔わせてくれるものを求め続けているだけなのだ。

 らもさんの本からそうしたメッセージを受け取った僕は、「普通」にうまく馴染めない自分でも、自分なりのやり方で生きていけばいいのだ、という自信を持つことができたのだった。