立憲民主党の結党は万死に値するほどの愚行、その経緯

 そもそも、私は立憲民主党は結党されたこと自体が間違いだったと考える。それは、結党時の経緯を振り返れば明らかだ。

 2017年9月、安倍首相の衆院解散・総選挙の決断を受けて、前原誠司代表(当時)が民進党の「事実上の解党」と、小池百合子代表(東京都知事)が率いる新党「希望の党」への合流を表明した(第168回)。当時、高い人気を誇っていた小池代表と合流することで、一挙に政権交代を実現することを狙ったものだった。

 だが、民進党の衆院候補者が希望の党の公認を申請したが、小池代表が独自の基準で選別し、憲法・安全保障など基本政策が一致しない候補を公認しない「排除の論理」を持ち出した。排除された候補者から次々と悲鳴が上がり、阿鼻叫喚の様となった。

 この事態に、小池代表の「非情」と前原代表の「詰めの甘さ」が厳しい批判にさらされた。この時、公認を得られず路頭に迷った議員を救済するために、枝野氏が「立憲民主党」を結党。

 立憲民主党は、総選挙で55議席を獲得し、野党第1党となった。一方、希望の党は50議席にとどまり、その後小池代表が辞任し、党は解体した。その一部が現在、玉木雄一郎代表率いる「国民民主党」である(第182回)。

 立憲民主党の結党は、枝野幸男氏という政治家が、日本政治をどういう方向に進めるかの大局観がなく、政党を運営するための何の展望も持たず、ただ感情だけで動いた結果である。それは、2017年総選挙の後に起きたことを検証すればわかる。

 政治学の理論をアレンジして用いれば、立憲民主党の結党で「分極的一党優位制」と呼ぶべき体制が確立したといえる。これは要するに、左右に大きく政策のウイングを広げた巨大な自民党に対して、左翼に大きく寄った小規模な野党がいるという体制だ。