ひろゆきが呆れる「やってはいけない残念な勉強法」ワースト1ひろゆき氏(撮影:榊智朗)

現在、日本中で大ブレイク中のひろゆき氏。
38万部を超えるベストセラー1%の努力』では、彼の「考え方の根っこ」を深く掘り下げ、思考の原点をマジメに語ってもらった。
この記事では、ひろゆき氏にさらに気になる質問をぶつけてみた。(構成:種岡 健)

勉強は得意ですか?

 みなさんは、勉強は得意でしょうか。得意という人は少数だと思います。僕自身、受験勉強は最小限に抑えて中央大学を選びましたからね。

 とはいえ、社会に出てからのほうが、勉強は好きになったと感じます。それは、勉強が勉強でなくなっていく感覚があったからなんですよね。それについて、今回は書いてみようと思います。

「スタート地点」で差がついている

 まず、勉強を勉強と思わないことが大事なのですが、これは最初の時点で現れます。

 勉強とは、要するに「新しい知識を覚えること」です。

 しかし、覚えることが目的になってしまうと、途端につまらなくなります。

「覚えようとする」。これがもう間違いなのです。

 僕の場合は、インプットのときに、すでにアウトプットのイメージができています。

 それは、YouTube動画のような場を持っていることも大きいでしょう。あの場では、身近にインプットしたことを話すようにしています。

 一般の人にわかる説明と順序と例え話で、僕が、「へー、この知識は面白い!」と思ったことを伝えるように話しています。

「記憶しようとする思い」が感動の邪魔をする

 そもそも勉強はインプットの時点で、「へー、面白い!」がないとインプットになりません。

 感動する、心が動く、というのがポイントです。

 しかし、この感動を邪魔するのが、「覚えようとする」というフィルターなのです。

 たとえば、映画を見るときも、純粋に楽しんでみるのか、それとも「この映画を見終わった後に簡単なテストをします」と言われて見るのか。

 前者のほうは、ストーリーに感動することができます。すると、記憶に残りやすい。

 後者のほうは、「テストのために覚えないといけない」という思いによってストーリーに感情移入することができず、どうでもいい登場人物の名前は一瞬だけ覚えられますが、長期的に記憶に残ることは何も無くなってしまうんです

 ということで、読書も映画も動画も、「これは勉強だ」と思わずに、純粋に知識に感動するようにするのが、記憶のための近道になります。

 つまり、「勉強しようとしないことが勉強になる」んです。

 で、もし感動したことがあれば、アウトプットしてみてください。身近な人に話すだけでも効果があると思いますよ。

ひろゆき
本名:西村博之
1976年、神奈川県生まれ。東京都に移り、中央大学へと進学。在学中に、アメリカ・アーカンソー州に留学。1999年、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。2005年、株式会社ニワンゴの取締役管理人に就任し、「ニコニコ動画」を開始。2009年に「2ちゃんねる」の譲渡を発表。2015年、英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。2019年、「ペンギン村」をリリース。主な著書に、38万部を突破した『1%の努力』(ダイヤモンド社)がある。