児童相談所や児童養護施設の存在を
学校教育の中で広めてほしい

――児童養護施設が抱える一番の課題は何でしょうか。

 一番となると難しいですが、やはり子どもたちが安心して暮らせるよう、職員の環境の改善は必須だと思います。

 施設の規模によって、子ども何人に対して職員の配置は何人、と定められていて、私たちの施設の各ホームには、子ども6人に対して現状、3人しか職員を配置できません。ただでさえ、先ほどお伝えした作業を1人でこなすのは大変なのに、若くして入ってきてくれた新卒の人がこれらに1人勤務で対応するのは本当にしんどいことです。

――3人といってもローテーションですものね。

 はい。せめて同じ時間帯に2人体制であれば、新人に教育もできますし、何かトラブルがあればお互い相談しながら対処することもできるはずです。精神的に消耗する職員も多く、児童養護施設で長く働き続ける人というのは本当に少ないです。児童養護施設の職員というのは、世の中の数多くの職業の中でも特に離職率が高いんですね。1年以内で辞めてしまう人もいますし、10年以上続けている人はなかなかいません。

 やはり心を開きかけた職員がいなくなると子どもたちにとっても悪影響ですし、1から教えてもう安泰かと思った人が辞めてしまうと、職員もショックが大きい。ですので、孤独を解消し、職員が安心して仕事ができるような職場環境の整備を、もちろん現場でも心がけますが、行政のかたたちに必要性を認識していただき、取り組んでもらえるとありがたいです。

――職員の配置人数は行政が定めているので、現場ではどうにもならない。

 そこが難しいところです。2016年に児童福祉法が改正され、「家庭養育優先」の原則が示されました。子どもたちにより家庭的な環境で生活してもらおうと、地域の中や里親の家庭での生活を推進する方向へとシフトしたんですね。

 この原則に沿って、児童養護施設の小規模化や地域分散化を推進しています。たとえば、施設内ではなく、子どもたちの生活拠点を外の地域に出すのであれば、子ども6人に対して職員6人を配置しますよ、というものです。ただ、子どもというのは、児童指導員、保育士、心理療法担当職員、栄養士、調理員、家庭支援専門相談員、里親支援専門相談員、事務員などがチームで見ているので、簡単なことではありません。

 また、里親に関しても、施設では1人の職員が8時間見て、ほかの時間は休息することができますが、里親はそのように切り替えられるわけではありません。信頼関係を築けるようになるまでに疲弊してしまう人もいるんですね。「疲れてしまった」と児童相談所に子どもを預けにきて、出戻りのような形で再び施設に入る子もいます。

――子どもたちは里親に引き取られたい気持ちはあるのでしょうか。

 子どもを児童養護施設に預ける親というのは、もともと里親に預けたくないというかたが大半です。たとえ養子縁組に至らずとも、子どもを他人に取られてしまうイメージなのだと思います。「今は子どもたちの面倒を見ることが難しいので一時的に施設に預けよう」という親に対し、児童相談所などが里親へ預けることを積極的に提案するということは、あまり現実的ではないように思えます。

 また、子どもにとっても里親というのは、初めはどうしても身近な存在ではないので、心理的なハードルはやはり高いと思います。それを乗り越えられればいいのですが…。もちろん国は国で、社会的養護の観点から仕組みづくりをしてくれているのですが、国が求める理想像に、現場の状況や世の中の意識が追いついていない状況です。

――世の中に知ってもらいたいことは何かありますか。

 やはり児童養護施設という存在があまり社会で認知されていないことが、さまざまな課題の要因になっている印象ですので、児童養護施設についてもっとみなさんに知ってもらえるとありがたいです。

 中学生ぐらいまでなら、施設は通学の地域内に昔からあるので、子どもたちが施設名を言えば、「ああ、○○園で暮らしているんだね」と友人も大人たちもわかってくれますが、高校生になると、大抵は施設で暮らしていることを隠します。「何でそんなところに住んでいるの?」「親がいないんだろう」と言われても、割り切って話せる状態にその子自身がなっていないんですね。すると、そこから周囲に対する気まずさややりづらさが生まれてしまいます。聞かれて嫌だなあ、面倒だなあと思う子もいれば、あっけらかんと話す子もいるので、子どものタイプもさまざまですけれどね。

 ですので、児童養護施設というものがあり、児童相談所など、誰でも助けを求めていい公的機関が世の中に数多く存在するということがもっと広まるといいなと思います。それは偶然知るというのではなく、子どもたちが小さいうちに、学校教育の中できちんと、子どもたちが自ら使っていい、助けを求めていい、児童相談所というものがあるということを伝えていくべきだと思います。

 それは親にとっても重要です。今は健康でも、急に身体または精神面での病気になってしまうかもしれません。また、事故などで仕事をすることが難しくなってしまうかもしれない。そのとき、どのような支援が世の中にあるか知らない、どこに相談していいのかわからない、そういったかたは非常に多いんです。

 相談所へ行くということは、それ自体、親も子どもも非常にエネルギーがいることです。調べて、訪れる決意をして、きちんと説明するコミュニケーション力まで必要ではないかと思うと、どうしても尻込みしてしまいます。でも、困ったときに誰でも相談できる場所があるということを小さいうちから知っておけば、そうしたハードルもグンと下がりますし、児童養護施設に対するバイアスもなくなるはずです。そのような世の中になってほしいと願っています。

――子どもたちに、今一番してあげたいことは何ですか?

 いろいろな世界を見せてあげたいです。見たことがない、聞いたことがない、触れたことがない、会ったことがない、という環境は、子どもたちが新しい生活へと踏み出すことをおっくうにしてしまいます。

 どうしても施設にいると、そして今のようなコロナ禍という状況ですと、「これはだめ」「それは難しい」と制限ばかりが多くなってしまいます。ただでさえ、「人より境遇が劣っている」「自分に非があったために親と離れることになったのでは」「自信となるものが何もない」と思い込んでいる子たちなので、たくさんの経験の場をつくってあげたい。

 社会に出たときに、落胆ではなく希望を持てる機会を、「知らない、知らない」ばかりを数えるのではなく「そこ行ったことがある!」「それ見たことがある!」と、「知ってる、知ってる」を数えられるような機会を、できるだけ多くつくってあげたいですね。

 子どもというのは、社会の中で、社会によって育てられる。人間は子育てを社会的な営みにすることで、自分たちの社会や文化を次の世代へと継承していくことを可能にした。親の早世が多かった近代以前は、実親がいない子どもも、地縁血縁的な扶助によって育つことが可能であった。「社会が育てる」という文化が根を下ろしていた。近代化が進むと、次第に「社会が育てる」という意識は後退し、現代では、「親が育てる」という意識が当たり前となった。子育てはそれぞれの親の「私的な営み」とみなされ、その責務はほぼ全面的に親に委ねられている。

 かつては、貧しさゆえの困難を社会的に共有することができたが、戦後の時間の経過とともに、子育てに地域や社会が責任を持つという観念もすっかり薄れ、子育ては「社会」から「親」へとある意味、「丸投げ」された。すると、親の養育が受けられず困難に直面した子どもは、孤立無援の状況に直面する。現在、児童養護施設は、行き場を失った子どもたちの受け皿のひとつとなっている。しかしこれは社会が子育てを親へ丸投げしているように、社会が子育てを施設へ丸投げしているにすぎない。

 その最大の要因は、孤立無援の子どもたちや児童養護施設に対する、社会の無関心である。丸投げは無関心によって行われる。そして言うまでもなく、社会とは私たち自身のことである。