唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント9万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊された。坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されている。今回は、著者が書き下ろした原稿をお届けする。好評連載のバックナンバーはこちらから。
餅ほど恐ろしい食べ物はない
私の祖母は、窒息が原因で亡くなった。私がまだ小学生だった頃だ。原因は、餅である。
餅による窒息は、毎年全国各地で多発する。医師の立場から見て、「餅ほど恐ろしい食べ物はない」と常々思う。
ここに、興味深いデータがある(1)。
2006年から2016年までの11年間で、食べ物を喉につまらせて窒息死した人は、我が国に約5万2千人。発生数は季節によって大きく変動し、1月に最も多く、6月に最も少ない。
さらに細かく見ると、驚くべき事実が分かる。
最も死者が多いのは1月1日であり、二番目に多いのは1月2日、三番目に多いのは1月3日である。1年には365日もあるが、食べ物による窒息死が起こる日には、恐るべき偏りがあるのだ。
その理由は言うまでもないだろう。我が国には、「餅」という窒息リスクの高い食べ物を、決まって正月に食べるという特殊な習慣があるからだ。
命を救えるタイムリミットは数分
特に窒息死のリスクが高いのは、高齢者である。冒頭のデータによれば、窒息死した5万人超のうち、75歳以上が73%を占める。
高齢者は一般に、若い頃より噛む力や飲みこむ力が衰えているため、固く粘着質な餅は、極めて危険な食べ物になる。また、服用中の薬の副作用などで唾液が十分に分泌されないことも、窒息のリスクを高めうる。
窒息、つまり空気の通り道が塞がると、命を救えるタイムリミットは数分である。
体内に酸素を取り込むことができなくなり、あっという間に意識を失う。脳への酸素供給が途絶えると、脳に回復不能な障害が起こってしまう。
のちに気道が再開通しても、永久に意識が戻らない、といったことが容易に起こるのだ。
一方で、餅による窒息ほど予防と対策がしやすい事故は他にない。起こりやすい時期や年齢、そのメカニズムは、この上なく詳細に明らかだからだ。
最も有効な予防策は、「餅を食べないこと」である。餅を食べさえしなければ、「餅による窒息」の発生数はゼロにできる。
だが当然ながら、昔からの習慣を変えるのはたやすくない。正月の餅を毎年楽しみにしている人も多いだろう。私自身、正月の餅に全くこだわりはないが、大好きなチョコレートを食べるなと言われたら素直に従える自信はない。好物を我慢するのは、大きなストレスを伴うものである。
そこで、もし餅を食べるのなら、綿密な対策を講じることが推奨される。
【その1】 1センチ未満に小さく切る
【その2】 ゆっくりよく噛んでから飲み込む
【その3】 一人では食べない
【その4】 餅を食べる前に汁物やお茶でのどを潤す
などを意識し、細心の注意を払うのがよいだろう。
また、誰かの窒息を目撃した時は、大きな声で助けを呼んで人を集め、119番通報を行う。左右の肩甲骨の間を何度も強く叩く「背部叩打法」を試す。
もしこれで除去できなければ、「ハイムリック法(腹部突き上げ法)」を試すのも一つの手である。後ろから腰に両腕を回し、片方の手で握りこぶしを作ってみぞおちとへその間に当て、その上をもう片方の手で握って手前上方に突き上げる方法だ。
YouTubeで検索すると、わかりやすい動画がたくさんアップロードされている。ぜひ参考にしていただきたいと思う。
【参考文献】
(1)J Epidemiol. 2021 May 5;31(5):356-360.
(※本原稿はダイヤモンド・オンラインのための書き下ろしです)