ペロポネソス戦争の勃発と終結

 しかしアテナイとスパルタの覇権を巡る争いは、ついに衝突に至ります。

 そしてギリシャの都市国家は、アテナイを中心とするデロス同盟とスパルタが中心のペロポネソス同盟に分かれて、一大戦争に突入しました。ペロポネソス戦争です(BC431-BC404)。

 戦局の推移について詳述することは避けますが、ペリクレスの死後、彼の民主政を継続しようとした政治家ニキアスは、スパルタと講和を結びます(BC421)。

 しかし、美貌の青年政治家だったアルキビアデス(BC450頃-BC404)はこれを無視し、シチリアへの遠征を強硬に提唱しました。

 この無謀な作戦は失敗し、アテナイの艦隊は全滅します。

 そしてアテナイはスパルタ側に降伏し、ペロポネソス戦争が終わりました。

 敗戦後のアテナイでは、スパルタの政治的な介入が顕著になりました。

 民主政は一時的に倒され、スパルタの息がかかった少数の市民が市政を独占する、寡頭(かとう)政に移ります。

この寡頭体制は30人の僭主(せんしゅ)(不法な権力者)によって構成されたので、「30人僭主」とも「30人政権」とも呼ばれました。

 ソクラテスはペロポネソス戦争が始まったとき、働き盛りの38歳頃でした。

 アテナイの民主政では市民全員に兵役の義務がありましたから、彼も参戦して勇敢に戦っています。

 長いペロポネソス戦争が終わったとき、ソクラテスは65歳頃。彼の残りの人生は、あと5年ほど。彼の人生の壮年期は、ペリクレスが築き上げたアテナイの黄金時代が黄昏(たそがれ)を迎える時代でした。

 戦乱が打ち続く中で、ソクラテスは何を考えていたのか。

 少なくとも、アルケー(万物の根源)を考えるよりも、人間が生きることの意味について思索を深めようとしたのではないでしょうか。

 この本では、哲学者、宗教家が熱く生きた3000年を出没年つき系図で紹介しました。

 僕は系図が大好きなので、「対立」「友人」などの人間関係マップも盛り込んでみたのでぜひご覧いただけたらと思います。

(本原稿は、13万部突破のロングセラー、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)