SFプロトタイピングという「限界芸術」
農業と芸術をつなごうとした賢治の活動を理解する補助線として、哲学者・鶴見俊輔の『限界芸術論』を紹介したい。
本書において鶴見は「芸術」を3つに分類する。いわく(1)純粋芸術、(2)大衆芸術、(3)限界芸術である。第1の「純粋芸術」は、立派なホールで演奏されるクラシック音楽や、美術館が所蔵する名画のように、熟練した芸術家が生み出し、教養ある鑑賞者が享受するものを指す。第2の「大衆芸術」は、創作のプロが作り、庶民が娯楽として楽しむもので、市場に流通する映画や小説の多くはこれに当たる。そして第3の「限界芸術」は、無名の人々が創造して生活に溶け込むものを指す。鼻歌だって、落書きだって、見ようによっては芸術なのだ。
そして、鶴見が「限界芸術の実践者」の筆頭として挙げるのが、他ならぬ宮沢賢治である。鶴見は本書で、賢治の芸術観を「芸術とは、主体となる個人あるいは集団にとって、それをとりまく日常的状況をより深く美しいものに向かって変革するという行為である」と表現する。これぞまさしく現場の芸術、限界芸術の意義である。
鶴見はまた「名付け」も芸術だと語る。しばしば冷害に見舞われ、自分たちが食べる作物すら満足に収穫できない年も多かった東北の農村。そんなふるさとに賢治は理想郷を幻視し、「イーハトーヴ」という美しい響きの名前を与えた。もちろん、どれほど美しい名で呼ぼうと、目の前の現実は楽園にはならない。最初は村の誰もが、賢治の語る理想論など相手にしなかっただろう。しかし、他ならぬ賢治自身がそれを強く信じ、その実現のために農業人の教育に乗り出し、土を耕した。同時に美しい音楽を奏で、絵を描き、物語を紡いだ。すると、やはり現実は変化していったのだ。
ビジネスはSFであり、芸術である
宮沢賢治の作品群は、詩人の草野心平らが「発見」したことで全国に紹介され、国民的作家として知られるようになった。そして、今では大衆芸術として広く愛されているばかりか、純粋芸術としても評価が高いことは周知の通りだ。しかし、もし無名のまま、限界芸術のままだったとしてもその価値が減じるわけではない。それらが、花巻で暮らす多くの生活者の日常を美しく変革した事実に変わりはないのだから。
「SF思考」「SFプロトタイピング」もまた、限界芸術の系譜に連なるものだ。筆者が企業プロジェクトとして手掛けるSFプロトタイピングの案件も、作品の9割方は社外に出ない。もちろん、プロ作家の力を借りてフィクションとしての完成度を上げ、対外的にアピールしてもいいし、それが結果的に企業広告として機能することもあるだろう。しかし、当事者の一人一人がSF作家になり、未来を変革する意志を持つことの方が何倍も重要だ。
筆者が編著で関わった『SFプロトタイピング』や『SF思考』の出版を機に、「ビジネスにSFを活用しよう」という機運が高まっている。とてもうれしく思っている。一方、「SFなんて自分と関係ない」と考えているビジネスパーソンはまだまだ多いし、「SFを企業のプロパガンダに利用しようとしている」と誤解しているSFファンも少なくない。しかし、それは違う、とはっきりここで断言しておきたい。
ビジネス(および人間が生きていくための活動全般)と、SF(およびあらゆる創作活動)は、本来は切っても切れない関係だ。しかし、現実では両者は切り離されている。生活のために仕方なく働き、そのストレスの発散のために創作の世界で遊ぶ――。そんな分断を解消し、働くことをすなわち創造とした方が健全だと筆者は思うのだ。「SF思考」は、「この両者を、再び1つにしよう」という呼び掛けにすぎない。
賢治が没して、そろそろ90年がたつ。しかし今も、花巻には賢治の描いたユートピアが息づいているし、多くの人がそれを求めて花巻を訪れる。「イーハトーヴ」という美しい言葉が、土壌を肥やし、おいしい野菜や米を育て、美しい景観を保ち、人を呼び寄せ、新たな産業を生み出す原動力になっているのだ。無名の人が紡いだ物語が、地域全体を照らすビジョンとなり、まちの未来を変えたのだ。
まちづくりのビジョンがうまく描けない。企業のパーパスがうまく作れない、という話はよく聞く。その最大の原因は、未来を語っているようでいて、過去に縛られているからではないだろうか。それがどれほど目の前の現実と懸け離れていたとしても、当事者として「ありたい未来」を全力で妄想し、高い理想を掲げ、そこに一歩でも近づくための実践を始める――。そうすれば、ビジョンは信じられないぐらい大きな力を持つし、昨日と変わらぬルーティーン仕事も、ビジョンを実現するためのステップとして輝き始める。
それは誰の人生にも、どんな組織にも起こり得る。誰もが宮沢賢治になれるのだ。