事実、この分野のエキスパートである警察OBの北村氏は現在、「北村エコノミックセキュリティ」という会社を立ち上げて、「コンサルタント」として活躍している。警察庁はこの「北村モデル」を全国規模に拡大しようとしている可能性もゼロではない。日本中の企業に警察OBを「経済安保コンサルタント」として送り込むことができれば今、全国の警察が頭を痛めている「再就職先の確保」問題は一気に解決できる。

 このようなオープンになっている情報だけを見ても、経産省と警察庁が「経済安保」というものを、自分たちの既得権益だと考えていることが容易に想像できる。

 だからこそ、「経済安全保障利権を、財務省が本格的に奪いにきたのではないか」なんて憶測も飛び交ってしまうのだ。

本当の「経済安全保障」はどこへ
パワーゲームは「百害あって一利なし」

 ただ、一般庶民の立場から言わせていただくと、そのような政治家や官僚という「上級国民」の皆さんが主導権争いなどのパワーゲームにのめりこむ姿を見れば見るほど、「経済安全保障」というものに対しての不安が膨らんでいく。

 国益という視点に立てば、経済安全保障というものが必要で「まったなしの課題」というのは同感だ。日本で言われる経済安全保障というのはぶっちゃけ「中国の脅威」にどう立ち向かうのか、という話なので、エネルギー、半導体、サプライチェーン、さらには海洋資源などで、米中対立の影響を受けないよう、日本独自の生産・輸入の体制などを整えるということに対して全く異論はない。

 が、先ほどの「天下り」確保のための活発な動きや、霞が関の主導権争いを見ていると、そのせっかくの重要な国策が、特定の人々に利益を誘導するような「利権」となってしまったり、政治的ライバルを貶めるための「政争の具」になって終了、という最悪の結末しか浮かばない。つまり、「経済安保」の法案を通して、官民あげて推進したところで、一部の「上級国民」の皆さんだけが恩恵があって、我々のような市井の一般庶民には「百害あって一利なし」という悪政になってしまうのだ。

 実際、これまでも「経済安全保障」や「中国の脅威」というものは、一部の上級国民を利するために、都合よく利用されてきたという動かし難い事実がある。

 記憶に新しいのが、自民党総裁選の最中に突如として注目を集めた「日本端子」問題である。