「わかりあえない」をどう解釈するか?

母の言葉を思い出す。

「気が合わない」と言っていた父と、もう30年以上も暮らしている母。

母は、言う。

「どうしてわかってくれないのって思ってるうちは、もうどうにもならないんだよね。やっぱり、諦めるしかなくて」

昔はよくイライラしていたような印象だったけれど、今の母は、やわらかな表情を浮かべている。

「気づいたの。他人を変えることなんかできないって。誰かを変えたかったら、まずは自分が変わるしかないんだって。まずは自分が変わって、それでもし、相手が変わったら、ラッキーくらいにかまえてないと、家族ってうまくいかないよ」

喧嘩ばかりしていた父と母は、今、私が一人暮らしをするようになって、実家で二人で暮らしている。

仕事の合間、ときどき、二人で出かけたり、買い物に行ったりしているそうだ。

今の二人に会ったとき、私の心がもやもやすることはない。

「結婚は我慢なのだな」と感じることもない。

色々な苦労があったのだろうと思うけれど、それでも、「川代家」の家族の形は、これだったのだと思う。

いろいろな、結婚の形がある。

家族の形がある。

家族とは、ちがう環境で生まれ育った者たちが共存するための、小さな社会なのだなと、つくづく思う。

「わかりあえない」という理由から、別れを選んでしまった私。

「わかりあえない」という問題があっても、一緒にいることを選んだ両親。

共存する、ということ。

「違い」を認め合う、ということ。それぞれの価値観の違いを認め合った上で、それでも一緒にいるという選択肢をとれるなら、きっとそれが一番よかったんだろう。

たとえば、お互いが違う人間で、お互いが理解しあえない、共感しあえないことをきちんと把握できてさえいれば、この大きな社会から、差別はなくなるのだろうか。

もし、一人一人の人間が、私たちは違う人間だと認識することさえできれば、私たちは、大きな「家族」として、うまくやっていくことができるのだろうか。

小さな「夫婦」という単位でさえ、私は、自分と違う人間のことを、違う人間と生き続けることを、受け入れることができなかった。

それでも、彼に幸せになってほしいから、私が幸せになりたいから、結局は、受け入れないことを選んだ。

私は、23歳で結婚し、24歳で離婚したというこの事実を、はたして、恥じるべきなのか。反省するべきなのか。

家族に、正解はない。
社会に、正解はない。

幸せになるために、私は今、何ができるのだろうか。

ただ一つ、わかるのは、他人どうしが共存するためには、色々な選択肢があるということを。

幸せには、人生には、人には、どんなものにさえ、絶対的な「正解」はないんだということを。

同じもどかしさを、同じ孤独を持つずっと遠くの誰かに知ってほしいという強烈な欲求が、今この胸のなかにあるということだけだ。

「結婚は我慢だ」と言うけれど、23歳で結婚して24歳で離婚した私は何かを学び取れたのか川代紗生(かわしろ・さき)
1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。
2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。
「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。
メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。
現在はフリーランスライターとしても活動中。
私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。