その試合で日本一になり、落合さんがナゴヤドームから自宅に帰るシーンがあります。意外な継投をしたことで、日本一となりながらも非情采配といわれた姿が印象に残りました。勝利したのに、何も手にしていない。

 でも、勝者とはそういうものなんだなと僕は理解し、悩みながら書籍では「美しかった」という一文を記しました。書き手としては危険な表現です。ただ、勝ったという事実以外に何も持っていなかったことが“美しかった”のです。

ロスジェネ作者のコンプレックスを救った
落合監督の言葉

――著書では落合さんをさまざまな角度から描いています。落合さんをどのように表現したかったのですか。

 読んでくれた人がそれぞれの立場や年齢から、自由に落合像をイメージしてほしいと思っています。

 ただ僕自身は、落合さんと出会って自分が持っていた価値観を一新されましたので、その鮮烈さを書籍に込めたつもりです。

 僕は「ロストジェネレーション」といわれている世代です。新卒入社したときに、バブルの時代を過ごした会社の先輩や学生運動の経験を誇らしげに語るその上の世代を見て、純粋に「すごい」と思いましたね。

 ただ同時に、そんな話を聞かされた自分には何もないとコンプレックスを感じたのです。取材にしても先輩から許可をもらって自分の“順番”を待つしかない存在でした。

 それを変えてくれたのが落合さんでした。それまでのプロ野球担当記者のかいわいでは、キャップと呼ばれる年長者しか監督に取材しにいけないという明確な序列がありました。

 しかし落合さんは、1人で来る記者に対してだけはしゃべるという人だったのです。