感動小説『精神科医Tomyが教える 心の荷物の手放し方』の著者が、voicy「精神科医Tomy きょうのひとこと」から、とっておきのアドバイス。心がスッと軽くなる“言葉の精神安定剤”で気分はスッキリ、今日がラクになる!
「いい我慢」「残念な我慢」
たった1つの違いとは?
きょうのひとことは、
「我慢するのは自分の意志があるときだけ」
いろいろと我慢することってありますよね?
自分のために、自分の意志で我慢する。あるいは、ここで我慢すれば、その先にある果実を得られるから、自分の意志をともなって我慢する。
たとえば、遊びたい気持ちを我慢して受験勉強をして、その先にある志望校合格を目指す。あるいは、アスリートがオリンピックのメダル獲得を目指して、厳しいトレーニングメニューをこなす。
こういう本人の意志がともなうのは、いい我慢です。
もちろん、自分の意志があろうがなかろうが、我慢しなくてはならないこともあります。それは、法律や規則です。
お金が欲しいから我慢せずに強盗するとか、違法薬物を我慢せずに乱用するなんてことは、当然、犯してはならないこと。そういうことを除外して、自分に意志のない我慢は、悪い我慢なのです。
仕事でもプライベートでも納得していないのに我慢することは、けっこうあると思いますが、その我慢は基本的には不毛なことです。
誤解を恐れずにいうと、「気が引けるから」とかいう理由で、他人に配慮して我慢する必要もありません。
なにをいいたいのかというと、自分の納得感をともなうときだけ我慢することを基本にすると、もっとラクに有意義に生きられるということなんです。
たとえば、相手が嫌なことをしてきたのだけれど、人間関係もあるから我慢する。あるいは、ちょっと我慢すれば、相手が察して嫌な行為をやめてくれるかもしれないから我慢する。
こういう我慢は、不毛だということです。
明らかに相手に問題があって我慢を強いられる状況なのであれば、遠慮なく相手に指摘したり、相手に直接いえないのであれば、しかるべき相談窓口に駆け込む。
嫌なことを我慢して、自分の行動を遮るようなことをしても、ものごとは改善しません。むしろ、悪い方向に向かってしまうことが多いでしょう。
少なくとも自分の納得感がともなっていればいいのですが、納得してないのになんとなく理不尽だと思っているけれど我慢するなんてことは、この際、キッパリやめることをおすすめします。
納得感がともなわない我慢でも、なにかにつながることがあるかというと、そういうケースは少ないでしょう。むしろ、本来やるべきことをやる自分の意欲が削ぎ落とされかねません。
不満が溜まっているけれど、我慢しよう。そんなふうに目に見えない「自分の殻」を自ら硬く強化してしまうようなところがあります。そうすると、生きづらさを感じるようになりかねません。
自分が叶えたい目標があるから、遊びたい気持ちを我慢して勉強する。いまの仕事で成果を出したいから、たいへんだけど目の前の仕事を頑張りたい。こういう自分の納得感がともなう我慢ならいいということです。
人生は限られていますから、時間はなにより大事です。だから、大切な時間は、より素敵なことに向けたほうがいいわけです。
そういう本質的な視点からしても、納得感をともなわない我慢に費やす時間というのは、とてももったいないことです。
納得感のともなわない我慢は一切しない。それくらい割り切ってもいいと思います。
きょうのひとことは、
「我慢するのは自分の意志があるときだけ」
でした。
参考になったかしら?