『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら
[質問]
コミュニケーション障害を治したいのですが、どうやって直せばいいかわかりません。
具体的に言うと、会話で何を言えば良いかわからない(共感して終わり)、言いたい言葉がなぜか言えない(ねこって言おうとしてけこって言っちゃったり)、語彙力も無い(「マジで」「やばい」を多用)、文の構造がおかしくなって支離滅裂になる、論理性がなくて話を組み立てられない、などがあります。会話だけじゃなくて何かを説明しようとするときにも起こります。
元々社交的じゃなくて全然喋らなかった・外国に長年住んでいた、などの要因も考えられますが、大学生になってまで日本語がまともに喋れなくて生きてて恥ずかしいです。
人と話して経験を積む、以外に解決策はあるのでしょうか。
コミュニケーション障害の人はいません
[読書猿の回答]
コミュニケーションが苦手だとおっしゃられる方はよく「どうやって伝えたらいいか分からない」とおっしゃられますが、本当はもっと手前のところで躓いておられます。
言い換えると「正しいコミュニケーションとは前もって自分の頭の中にある伝えるべき内容を、相手に過不足なく伝わるよう適切に表現すること」という捉え方が大間違いだということです。
基本的にヒトは他人が言うことに(また、言おうとしていることに)関心がありません。
そのため、会話を行うには、相手をコミュニケーションに招き入れる(あるいは相手に招き入れられる)ことがまず必要です。
分かりやすいように、最もまずい例を先に挙げましょう。
「さあ、何でもいいので話しかけてください」
と言われてまともに話し出せる人はあまりいません。この発言は相手を「無制約という地獄」に置くものです。相手は何をしたらいいか分からない状態に陥れられます。
通常の会話は、これとは反対に、相手を制約の中に置くことで始められます。
例えば「国立新美術館へ行くのは、この道で合ってますか?」という疑問文に「目玉焼きにかけるのはソースですか?」「地球ができてから46億年経ちました」「マンマミーヤ!」などと返すのはどれも不適切です。
「ええ、5分も歩けば見えますよ」「すみません、分かりません」という応答なら、ありでしょう。
このように最初の質問は、それに対する(適切な)応答の範囲を制限しています。
こうした制限効果は、質問だけでなく、我々がやり取りするすべての発言が持っているものです。
会話を構成している発言の一つ一つは、次に何を話すべきかを示すシグナルとなり、呼び水になっています。
分かりやすい例として疑問文を挙げたのは、それが解答する以外の反応を制限するものであり、さらに解答の適切な範囲についても示すものだからです。
このために、うまく相手を招き入れる/相手から招き入れられることができれば(これは実は後で触れるように会話の最初だけでなく、会話の最中にも不断に行われるのですが)、会話はほぼ自動的に続いていきます。
何故なら、それまでの会話によって(とりわけ直前に相手が言ったことによって)、次に何を言って良いか/どんな応答が適切であるかは、かなりのところまで決まってしまう(かなり強く制約を受ける)からです。
では、何故ヒトは会話において「何を話せばいいか分からない」状態に陥るのでしょうか。可能性の一つは、その人がコミュニケーションの中に本当は招かれていない場合です。
たとえば「お前何言ってんの?」というノンバーバルなサインが出され、それを感知したために「しまった、しくじった、どうしよう」と軽いパニックに陥る場合などがこれに当たります。
言えば、ノンバーバルなサインを受け取るだけの「コミュニケーション能力」を持っているために陥る窮状ですが、「コミュニケーション障害」なる誤った概念を聞きかじっていると、自分になにか能力の不足があるのだと誤帰属してしまいます。
「いやしかし、そもそも『お前何言ってんの?』という反応をされたのは、会話を成り立たせる個々の発言が示している制約のサインを見落としてヘンテコな反応をしてしまったからではないか?」とおっしゃられるかもしれません。
確かに制約のサインを受け取り損ねたり誤解して、適切でない反応をしたのかもしれません。しかし、それは会話の中で普通に、そして不断に起こっていることです。それだけでは会話は中断しません。我々は会話の間ずっと、逸脱したり修正したりを繰り返しています。
もう少し詳しく言えば、ある発言に対してどう応じるのが正しくて間違っているかは必ずしも事前に決まっている訳ではありません。お互いに「いまのはちょっとどうかと」といった要修正のサインを示しながら、会話ができるだけ快適に継続されるように、今の会話に参加しているメンバーの間で即興で調整し合って「仮初の合意」を作り上げていくものです。
こうしたことをご存じない、(もっと悪く言えば)知る機会さえ持たない人たちは「自分が知っているコードやルールが正しい唯一のものだ」という頑迷な信念を振り回し、コミュニケーションが不調に終わった責任を気の弱そうな参加者に押し付け、相手に「コミュニケーション障害」(年配の人なら「常識がない」)というレッテルを貼り付けます。
しかしこうした頑迷な信念に閉じこもる限り、異なるコードやルールを持つ相手、自分が属するのとは異なるコミュニティに属する人たちと、うまくコミュニケーションを取ることはできません。結局は仲間内だけに閉じこもることになります。
(これは余談に属しますが、ビジネス書にある「ロジカル・シンキング」のごときは、「思考」をターゲットにしたマナー講師が唱える似非マナーに過ぎないので、ここでは取り上げません。)
会話コミュニケーションが、一方的な伝達ではなく、どのような共同作業か、ご説明できたところで、具体的に何をすればいいかに移ります。実は、コミュニケーションが苦手だと言われる方のお悩みには、これまでいくつか答えてきました。いくつかご紹介したいと思います。
まずこちらの記事で「簡潔な説明」のフォーマットを題材に、コミュニケーションでは最初に必要なことなのに軽視されているものを取り上げています。
次に会話を構成する最低限のアクションについては、この記事をどうぞ。