明日死ぬかもしれないと意識して生きる
井上:就職活動をしている学生の話を聞いていても、仕事でバリバリやってる人よりも、家族、趣味、遊びを含めて充実してる人が、憧れの対象になっているように感じる。
芸能人で言うと、ヒロミさんみたいな大人が格好いい、という若者が多い。僕もヒロミさんは格好いいと思うけれど、きっとヒロミさんは死に物狂いで仕事をしていた20代、30代を経たうえで、そこから離れて趣味を楽しんでいるところが格好いいのだと思う。
その部分を見ずに、「趣味に生きて、家族と楽しそうにやってるヒロミさん、格好いい」というのは違う。突き抜けて、死に物狂いでやった若いときがあるから、今があるというのを見誤らないようにしたい。
今村:僕は、ふた言目には「どうせ死ぬねんから」という考えを抱くのよ。歴史小説をやってるからか、よう分かる真実は、絶対みんな死ぬってこと。人間の致死率は、どう転んでも100%だからね。
坂本龍馬は30代前半で死んだし、信長は49歳で死んだ。現代も、長生きしてもたかだか80歳とか90歳。そう考えると、人生は短過ぎるし、どうせ死ぬんだから、なんかやりたいという思いが強過ぎるんやと思う。僕は今37歳やけど、明日死ぬかもしれんと思ってるから、すでに遺言も書いてる。
僕の生命保険は、生きれば生きるほど、受け取る額が減っていくようになっている。要は、今死ぬと、受取人にしている僕の会社が受け取る額が一番多いわけ。そうやって、もし僕がいなくなっても、会社が回るように準備をしてる。
井上:何の影響で、いつ頃からそう思うようになったの?
今村:池波正太郎先生のエッセイに「昔の武士は、頭の上に石がぶら下がっていて、それがある日突然プチッと切れて、頭に当たって死ぬというのを意識して生きてた」みたいなことが書かれていた。
そんなふうに「今日生きてることが、明日生きてることにつながらない」という意識を持つと、「今、最善の手を打つ、今、やりたいことをやる」という思考回路になってくる。
人生のカウンターがどんどん減っているのに
遊んでいる暇はない
井上:5月から全国をワゴン車で旅をするのも(注:「今村翔吾のまつり旅」と題した、全国の書店を巡りながら感謝を伝え、子どもたちと交流する企画)、今しかできないことだから?
今村:4ヵ月近く自宅に帰らないことになるけど、1年後死ぬかもしれんと思うと、今やるしかないやん。井上さんのラジオ番組だって、そうじゃないの?(注:今年4月から自身初の冠ラジオ番組『井上貴博 土曜日の「あ」』がスタート)。
井上:本当にそう。シンプルに「やりたいこと」「今しかできないこと」をやらせてもらっている。平日夕方の報道番組『Nスタ』の総合司会をやらせてもらっているから、土曜日にラジオ番組を受け持つのは、リスクもはらんでいる。「もし失敗したらどうする」「やらないほうがいいんじゃないか」と。でも、偉大な諸先輩方を見ても、ラジオ番組で培った経験をもとに飛躍している方々が多い。だから自分もやってみたいと思った。
今村さんの生き方を見ていて、自分自身もそうありたいと思う。人間って年を重ねると、どうしても可能性が狭まる。僕たちはお互いに未婚だけど、結婚とか子育てとか、これからいろいろな人生経験をしたらどうなるか分からない。でも、可能性を少しでも狭めたくないというか、限りなく広げておきたい。
今村:自分探しの旅に終わりはない。「自分探しして見つかんの?」って思っちゃうから、少なくとも僕には向いてないやり方だと思う。あがきながらでも、走ってる中にしか答えはない気がする。
井上:同感。もがいて走っている中でないと見えないよね。
今村:そもそも、走らないともったいない気がする。1年365日、10年3650日、これから50年とすると、あと1万5000日ぐらいしか生きられへん。1万5000がカウントダウンしてると思うと、もう居ても立ってもいられない。
しかも、若い間にしかできない時間のカウンターでいうと、もっと少ない。体の無理がきくのは、あと10年しかないと思ったら、カウンターが3650日から減っていってんねんで。遊んでる暇ないし、無駄にしてる時間はないよね。
※本稿は『伝わるチカラ』(ダイヤモンド社)の刊行を記念しての特別対談です。