マイノリティの視点を持つことの重要性

 繰り返すが、Vにしろ、アノニマスにしろ、その不法行為は肯定できるものではない。しかし、与えられた情報をうのみにせず、批判的な目を持ち、一人一人が個人として責任を持って権力と対峙しよう、というメッセージは今とても重要だ。大衆が体制を無言で承認し続けることが、後戻りできない監視社会を生み出してしまうリスクはどの社会にもある。今世界中から批判を浴びているプーチン大統領も、選挙で選ばれたリーダーであることを忘れるべきではない。

 映画の原作は、1982年に英国の「ウォリアー」誌で連載がスタートしたコミックであり(後に同誌の廃刊で連載が途切れ、DCコミックで89年に完結)、アラン・ムーア(原作)とデヴィッド・ロイド(作画)による共作である。コミック版では、映画よりかなり詳しく独裁政権の体制とその崩壊が語られている。そして、Vの扇動で社会が混乱したとき、これがあなたの目指した社会か、と問われたVがこう答えるシーンがある。

いや、これは単なる騒乱だ。アナーキーとは指導者がいない事であって、無秩序ではない
アナーキーとはオルドヌング、自発的秩序の状態だ
ただ、その前にフェアヴィルングという狂乱と無秩序の状態を経る
これはアナーキーじゃない…カオスだ

(注)『V フォー・ヴェンデッタ』(アラン・ムーア作、デヴィッド・ロイド画、秋友克也訳、小学館集英社プロダクション、2006年)P195より引用

 全体主義という「押し付けの秩序」から、個人が主体性を持つ「望ましい秩序」へと移行するためには、破壊と混乱が不可避だ。そう考えるVは、自ら「破壊者」としての役割を背負い、その先の再創造を志向しているのだ。

 ここで「ガイ・フォークスマスク」の由来についても触れておこう。映画冒頭でVが爆破テロを起こす11月5日は、英国では「ガイ・フォークス・デー」として親しまれる祝祭の日だ。あちこちで花火が打ち上げられる華やかなお祭りだが、その起源はなかなかに凄惨だ。1605年11月5日、英国国王ジェームズ1世の暗殺を狙った爆破テロが計画されるも、密告で計画が露見して未遂に終わる。この事件で処刑された首謀者の一人がガイ・フォークスであり、『V フォー・ヴェンデッタ』の仮面は、彼をモチーフとして造形されたものだ。

 この事件の背景には宗教的対立がある。当時体制側だったプロテスタントに、抑圧されていたカトリックがテロを試みたという構図だ。そのためガイ・フォークス肯定側からは、彼が(危険なテロリストでもあるが)「自分たちの権利を獲得しようとした英雄」と解釈される。だからVや活動家たちはガイの仮面を被るのだ。